導師導古典を学びたいすべての人に

政談 / 譜代者の事

御陣の御供をせんとき手形一枚にて召し置きたる家來を召し連れ、箱根をも笛吹をも越したらは皆欠落仕るへし、是れ譜代にあらされは叶はさる證據なり、又騎馬と云ふは當時は皆主人の數はかりなれは、日本國中惣高二千萬石にして日本の武者の惣數三萬餘騎なり、古は日本の惣軍兵三十三萬騎と云ひたるには十分一に成たり、何とて軍者は此の所まては料見せぬことなるそ、其の上只今太平の時節の上にても出替り者計を召使ふ故自然と家來の愛憐なく、一年切成る故其の心互に路人を見るか如し、何にても六ケ敷きことなれは請人を呼ひ寄せ暇を遣せは我か身にかゝることなしと料見す、奉公人も江戶中は皆主人なりと料見す、斯の如くなる心根風俗となる故、自然と下より上へ移り其の主人々々も上へ忠を盡すこと次第になくなるは習はしの移る所なり、

新字:御陣の御供をせんとき手形一枚にて召し置きたる家来を召し連れ、箱根をも笛吹をも越したらは皆欠落仕るへし、是れ譜代にあらされは叶はさる証拠なり、又騎馬と云ふは当時は皆主人の数はかりなれは、日本国中惣高二千万石にして日本の武者の惣数三万余騎なり、古は日本の惣軍兵三十三万騎と云ひたるには十分一に成たり、何とて軍者は此の所まては料見せぬことなるそ、其の上只今太平の時節の上にても出替り者計を召使ふ故自然と家来の愛憐なく、一年切成る故其の心互に路人を見るか如し、何にても六ケ敷きことなれは請人を呼ひ寄せ暇を遣せは我か身にかゝることなしと料見す、奉公人も江戸中は皆主人なりと料見す、斯の如くなる心根風俗となる故、自然と下より上へ移り其の主人々々も上へ忠を尽すこと次第になくなるは習はしの移る所なり、

書き下し

御陣の御供をせんとき手形一枚にて召し置きたる家来を召し連れ、箱根をも笛吹をも越したらは皆欠落仕るへし、是れ譜代にあらされは叶はさる証拠なり、又騎馬と云ふは当時は皆主人の数はかりなれは、日本国中惣高二千万石にして日本の武者の惣数三万余騎なり、古は日本の惣軍兵三十三万騎と云ひたるには十分一に成たり、何とて軍者は此の所まては料見せぬことなるそ、其の上只今太平の時節の上にても出替り者計を召使ふ故自然と家来の愛憐なく、一年切成る故其の心互に路人を見るか如し、何にても六ケ敷きことなれは請人を呼ひ寄せ暇を遣せは我か身にかゝることなしと料見す、奉公人も江戸中は皆主人なりと料見す、斯の如くなる心根風俗となる故、自然と下より上へ移り其の主人々々も上へ忠を尽すこと次第になくなるは習はしの移る所なり、

現代語訳

出陣のお供をするとき、手形一枚で雇い置いた家来を連れて行けば、箱根も笛吹(峠)も越えたなら、みな逃げてしまうだろう。これが譜代でなければ役に立たない証拠である。また騎馬というのは、今はみな主人の数だけなので、日本国中の総石高二千万石で、日本の武者の総数は三万余騎である。昔は日本の総軍兵三十三万騎と言ったのに比べれば十分の一になってしまった。どうして軍学者はこのところまで考えないのか。そのうえ、今の太平の時節においても、出替り者ばかりを召し使うので、自然と家来への慈しみがなく、一年限りなのでその心は互いに道ですれ違う他人を見るようなものである。何でも難しいことがあれば、請人を呼び寄せて暇を出せば自分の身にはかからないと考える。奉公人も、江戸中みな主人だと考える。このような心根が風俗となるので、自然と下から上へ移り、その主人たちも上へ忠を尽くすことが次第になくなるのは、習わしの移るところである。

解説

出替り奉公が戦時の動員力と平時の主従関係の双方を蝕むと説く条である。契約だけの家来は遠征の途中で逃げ、騎馬武者の総数は昔の十分の一に減った。平時にも一年限りの関係では互いに他人のようで、主人は面倒が起きれば保証人に返せばよいと考え、奉公人も江戸中どこでも主人になると考える。その心根は下から上へ移り、主人自身の主君への忠も薄れていくという。短期の関係しか結ばない組織では、上下の信頼や献身も育たない。関係の結び方がそのまま組織文化になることを示す鋭い分析である。

この章句が説くこと

忠主従信頼譜代組織文化雇用

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る