政談 / 譜代者の事
幼少の育ちも譜代者の手にて育てられたると、出替者の手にて育てられたると各別なり、譜代者は先祖の家風を覺え居、又家に年久しければ親類も見しこと下ろうながら耻をも知る、己も主人の恩にて育ちたるものなれは、主人の子を育つるも心行き格別なり、出替ものは左樣のこと之なく、唯々當分の身過のために當分奉公するものなり、左樣のものゝ手にかゝるに手傳ふて武家の人抦段々に惡しくなる、元來武家知行所に居住したるとき召使ひたる譜代ものは百姓に近きものなり、無骨なれとも眞實多し、今御城下にて召使ふ出替りものは方々渡りありき一家に足を留むる心無れは、何事も世俗の云ふやうはなしと云ふものなり、
新字:幼少の育ちも譜代者の手にて育てられたると、出替者の手にて育てられたると各別なり、譜代者は先祖の家風を覚え居、又家に年久しければ親類も見しこと下ろうながら耻をも知る、己も主人の恩にて育ちたるものなれは、主人の子を育つるも心行き格別なり、出替ものは左様のこと之なく、唯々当分の身過のために当分奉公するものなり、左様のものゝ手にかゝるに手伝ふて武家の人抦段々に悪しくなる、元来武家知行所に居住したるとき召使ひたる譜代ものは百姓に近きものなり、無骨なれとも真実多し、今御城下にて召使ふ出替りものは方々渡りありき一家に足を留むる心無れは、何事も世俗の云ふやうはなしと云ふものなり、
書き下し
幼少の育ちも譜代者の手にて育てられたると、出替者の手にて育てられたると各別なり、譜代者は先祖の家風を覚え居、又家に年久しければ親類も見しこと下ろうながら耻をも知る、己も主人の恩にて育ちたるものなれは、主人の子を育つるも心行き格別なり、出替ものは左様のこと之なく、唯々当分の身過のために当分奉公するものなり、左様のものゝ手にかゝるに手伝ふて武家の人抦段々に悪しくなる、元来武家知行所に居住したるとき召使ひたる譜代ものは百姓に近きものなり、無骨なれとも真実多し、今御城下にて召使ふ出替りものは方々渡りありき一家に足を留むる心無れは、何事も世俗の云ふやうはなしと云ふものなり、
現代語訳
幼少の育ちも、譜代者の手で育てられたのと、出替り者の手で育てられたのとでは格別に違う。譜代者は先祖の家風を覚えており、また家に年久しくいるので、親類も見知っていて、下臈(身分の低い者)ながら恥も知っている。自分も主人の恩で育った者なので、主人の子を育てるのも心の入れようが格別である。出替り者にはそういうことがなく、ただ当座の暮らしのために当座だけ奉公する者である。そういう者の手にかかって育つことも手伝って、武家の人柄はだんだん悪くなる。もともと武家が知行所に住んでいた時に召し使った譜代者は百姓に近い者である。無骨だが真実(誠実さ)が多い。今城下で召し使う出替り者は、あちこち渡り歩き、一つの家に足を留める心がないので、何事も世俗でいう「様はなし」(どうでもよい)という者である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「下位に居りて、上に獲られざれば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悅ばれずんば、友に信ぜられず。親に悅ばるるに道有り。身に反して誠ならずんば、親に悅ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。」
-
徒然草・第233段万の科あらじと思はば、何事にも誠ありて、人を分かず恭しく、言葉すくなからむには如かじ。男女老少みなさる人こそよけれども、殊に若くかたちよき人の、言うるはしきは、忘れがたく思ひつかるゝものなり。よろづのとがは、馴れたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり。
-
論語・為政篇子曰く、詩三百、一言以て之を蔽えば、曰く、思い邪(よこしま)無しと。
-
史記 儒林列伝申公之を恥ぢ、魯に帰り、退きて家に居りて教へ、終身門を出でず、復た賓客を謝絶し、独り王命之を召せば乃ち往く。弟子遠方より至りて業を受くる者百余人。申公独り詩経を以て訓と為して以て教ふ、伝無し、疑はしき者は則ち闕きて伝へず。
-
孟子・離婁章句下孟子曰く、「言に実無きは、不詳(ふしやう)なり。不詳の実は、賢を蔽ふ者之に当たる。」
-
尚書・周官德を作せば心逸んじて日々休く、偽を作せば心勞して日々拙し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る