政談 / 譜代者の事
武家の殘らす出替り者になりたるに、又浮氣なるものはつりびん奴手ふりを好むゆゑ、供一べんと云ふこと中比より出來す、昔は普請なとするに日用をやとうことなし、皆手前の中間若黨に普請土手つきをさする、親類知る人よりも家來を貸して普請をさする故もの入りなし、大名は足輕中間幷に家中の家來を普請につかふ、公儀の御普請にも旗本の家來を出して日用召しつかはるゝことなり、是等は某祖父の時代又父か若き時の咄しにて承はりたり、祖父普請を仕りたるに、細川玄蕃頭有馬左衞門佐中間を貸したる咄し祖母の物語りにて承はりたり、
新字:武家の残らす出替り者になりたるに、又浮気なるものはつりびん奴手ふりを好むゆゑ、供一べんと云ふこと中比より出来す、昔は普請なとするに日用をやとうことなし、皆手前の中間若党に普請土手つきをさする、親類知る人よりも家来を貸して普請をさする故もの入りなし、大名は足軽中間幷に家中の家来を普請につかふ、公儀の御普請にも旗本の家来を出して日用召しつかはるゝことなり、是等は某祖父の時代又父か若き時の咄しにて承はりたり、祖父普請を仕りたるに、細川玄蕃頭有馬左衛門佐中間を貸したる咄し祖母の物語りにて承はりたり、
書き下し
武家の残らす出替り者になりたるに、又浮気なるものはつりびん奴手ふりを好むゆゑ、供一べんと云ふこと中比より出来す、昔は普請なとするに日用をやとうことなし、皆手前の中間若党に普請土手つきをさする、親類知る人よりも家来を貸して普請をさする故もの入りなし、大名は足軽中間幷に家中の家来を普請につかふ、公儀の御普請にも旗本の家来を出して日用召しつかはるゝことなり、是等は某祖父の時代又父か若き時の咄しにて承はりたり、祖父普請を仕りたるに、細川玄蕃頭有馬左衛門佐中間を貸したる咄し祖母の物語りにて承はりたり、
現代語訳
武家が残らず出替り者を使うようになったうえ、さらに浮ついた者は、つりびん(髪型を誇張した奴姿)や奴の手振りを好むので、「供一べん」(供回りを見栄えだけの奉公人でそろえること)ということが中頃から起こった。昔は普請(土木工事)などをするのに日雇いを雇うことはなかった。みな自分の家の中間や若党に普請や土手築きをさせた。親類や知人からも家来を貸してもらって普請をさせたので、費用がかからなかった。大名は足軽・中間ならびに家中の家来を普請に使った。公儀の御普請にも旗本の家来を出して、日雇いの代わりに召し使われたのである。これらは私の祖父の時代、また父が若い時の話として聞いた。祖父が普請をしたとき、細川玄蕃頭と有馬左衛門佐が中間を貸してくれたという話を、祖母の物語で聞いた。
解説
この章句が説くこと
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