政談 / 譜代者の事
近頃は中間のたぐひ米をさへつかず、米つきと云ふもの御城下に出來たるはこの二三年このかたのことなり、其の前なきことなり、松平伊豆守よりもり切りと云ふ出來て、武家はみなこれになるより奉公人引米と云ふ事をして供先きにて口をぬらす、それにても足らす、博奕を所作にして欠落をする、下々欠落をすれは間欠るより入れ口と云ふものに奉公人を入れさすれは出し入れ自由なるやうなる故奉公人にす、あしくなる三月出かはりの時分は五日のはずなれとも今は一とうに作法のやうになりて四日に出居る、年季ものなき家は男女ともになくなりてせいしにさへことかく有樣なれはあわてゝ人を置きつくることなり、此の氣に乘して奉公人の給金次第に高直に成る、此の四五十年己前はわかとうの切まい二兩はかり、中げんは三步一兩、しんめう一兩はかり、はしたは一二步なりしを、今はわかとう三四兩を安き切りまいとす、中げんは二兩一二步三兩其上もとる、しんめうも三兩四兩半下は二兩その餘も取ることに成りたり、當時に至りては武家の輩其の外の諸色も次第に高直になり、人を身上相應に持こと成らぬやうになりたり、
新字:近頃は中間のたぐひ米をさへつかず、米つきと云ふもの御城下に出来たるはこの二三年このかたのことなり、其の前なきことなり、松平伊豆守よりもり切りと云ふ出来て、武家はみなこれになるより奉公人引米と云ふ事をして供先きにて口をぬらす、それにても足らす、博奕を所作にして欠落をする、下々欠落をすれは間欠るより入れ口と云ふものに奉公人を入れさすれは出し入れ自由なるやうなる故奉公人にす、あしくなる三月出かはりの時分は五日のはずなれとも今は一とうに作法のやうになりて四日に出居る、年季ものなき家は男女ともになくなりてせいしにさへことかく有様なれはあわてゝ人を置きつくることなり、此の気に乗して奉公人の給金次第に高直に成る、此の四五十年己前はわかとうの切まい二両はかり、中げんは三歩一両、しんめう一両はかり、はしたは一二歩なりしを、今はわかとう三四両を安き切りまいとす、中げんは二両一二歩三両其上もとる、しんめうも三両四両半下は二両その余も取ることに成りたり、当時に至りては武家の輩其の外の諸色も次第に高直になり、人を身上相応に持こと成らぬやうになりたり、
書き下し
近頃は中間のたぐひ米をさへつかず、米つきと云ふもの御城下に出来たるはこの二三年このかたのことなり、其の前なきことなり、松平伊豆守よりもり切りと云ふ出来て、武家はみなこれになるより奉公人引米と云ふ事をして供先きにて口をぬらす、それにても足らす、博奕を所作にして欠落をする、下々欠落をすれは間欠るより入れ口と云ふものに奉公人を入れさすれは出し入れ自由なるやうなる故奉公人にす、あしくなる三月出かはりの時分は五日のはずなれとも今は一とうに作法のやうになりて四日に出居る、年季ものなき家は男女ともになくなりてせいしにさへことかく有様なれはあわてゝ人を置きつくることなり、此の気に乗して奉公人の給金次第に高直に成る、此の四五十年己前はわかとうの切まい二両はかり、中げんは三歩一両、しんめう一両はかり、はしたは一二歩なりしを、今はわかとう三四両を安き切りまいとす、中げんは二両一二歩三両其上もとる、しんめうも三両四両半下は二両その余も取ることに成りたり、当時に至りては武家の輩其の外の諸色も次第に高直になり、人を身上相応に持こと成らぬやうになりたり、
現代語訳
近頃は中間の類いが米さえ搗かず、米搗きという稼業が城下にできたのは、この二、三年来のことである。その前にはなかったことである。松平伊豆守(信綱)の頃から「盛り切り」(食事を定量で出すこと)というものができて、武家がみなこれにならったので、奉公人は引米(給米の天引き)ということをして、供先で飲み食いして口を潤す。それでも足りず、博打を常のなりわいにして欠落(逃亡)をする。下々が欠落すれば、人手が欠けるので、口入れという者に奉公人を入れさせると、出し入れが自由なようなので、奉公人はますます悪くなる。三月の出替りの時節は五日のはずだが、今は一様に作法のようになって四日に出てしまう。年季者のいない家は男も女もいなくなって、日々の用(せいし)にさえ事欠く有様なので、慌てて人を雇い付ける。この勢いに乗じて奉公人の給金は次第に高くなる。この四、五十年前は若党の切米(年給)は二両ばかり、中間は三分か一両、しんめう(下働きの男か)は一両ばかり、はした(下女)は一、二分であったのを、今は若党は三、四両を安い切米とし、中間は二両一、二分から三両、それ以上も取る。しんめうも三両、四両半、下でも二両、それ以上も取るようになった。今に至っては、武家の人々はそのほかの諸物価も次第に高くなり、身分相応に人を抱えることができないようになった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』諸色直段の事又都も田舎も武家皆旅宿にて金にて物を買整へ其用を弁せんとする故、商人の勢ひ盛になりて日本国中の商人通して一枚となり、物の直段も遠国と御城下と釣合ひて居る故、数百万人の商人一枚になりたる勢には勝れぬことにて、何程御城下にて御下知ありても物の直段下らぬ筋もあり、又物の出所遠国より江戸まて参る間にては段々に幾継きも継きて参り届くに、其段々幾継きも継きたる所々にて皆段々に利をまうけてのくこと道中の賃銀の外なる故、かゝり莫太になりて、物の直段高直なる筋もあり、
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『政談』諸色直段の事又商人盛になれは商人の心は職人百姓とは違ひ素骨折らすして居なから利をまうくるものなるが、尚又上手になりて、商をもせすして唯々口米を取り渡世をする仕方を工夫して、その筋近比益々上手になり、仲間を立て党を組みもとしくと成りて居なからに渡世をせんとする故、掛り愈々莫大になりて物の直段下らぬなり、此所は商人の上の妙術なれは奉行御役人も其情に達せす、ほしめうそのこと背は未た初心にて其物を蔵へ買込て置きたる故其仔細知れ安し、今は物の出所へ金を前方より遣はし置て人に買せねは高く売へきも安く売へきも我心次第なれとも、未た高く売出さぬ内は唯々安く買ふへきため計りなりと外よりは見ゆるなり、或は甲州より葡萄を売に来る商人の直段を上けんとては五段も三段も谷へほかして弄ると云ふ、得を取るへきために損をするは極めて人の思ひ付かぬ了簡なり、皆商人至極に成たる故智恵に智恵を研きて大形垣の上に、上りつめたるは、諸色の直段を奉行の下知にて下ぐることは成かたかるへし、
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『政談』諸色直段の事其下直にする道を知ることは先つ高直に段々成りたる謂れを知らずしては手段をすへきやうなし、偖其物の直段の段々に高直になりたる仔細一品にあらす様々の謂あり、先つ第一には国々より出る諸物多くは其地頭へ運上を取るに、請負の者直段を次第に糶上けて手前に糶落す事故物の直段次第に高直になるなり、其運上は其大名の使ひ料となり、又は借金の方へ振向けてあり、さるによりて当時諸大名既に困窮したる上は愈々直段下り難きなり、之を避くる仕方甚た難し、
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『政談』御旗本諸士の困窮を救ふ事百工のわさに付き御当地京都大坂なとにては成かたきことも有へし、某唐紙唐筆にてなけれは物書れぬ故諸方を承り合はせ、日本の内にても唐紙をすき唐筆をゆふ人ありやと尋ね求むるに、唐紙この以前大坂にてすき出したれとも物入り多き故商売にならぬとて止めたりと承はる、唐筆は弟子ともの内に能く差図をしてゆはする者あれとも是も工手間掛りて損なりとてゆはす、活版と云ふ者調法なるものなれとも、是亦御当地なとにては工手間かゝる故版をほるよりは却て損なり、石摺も真の仕方は工手間かゝる故成りがたし、織物のたぐひを京都にて織出せとも是も唐の如くすれはもの入多き故、何も薄く織出して唐には劣る、是皆店賃高く諸色高直なる故何事も〳〵掛りもの多くなりて善きものは出来ぬ、
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『玉勝間』一の巻 むかしは銭すくなかりし事おなじ書に、上品八丈絹六匹、代百廿文(各廿文)紺布二反、(無文)代四文とあり。むかしは銭のいといとすくなかりし程、これにて知るべし。また同書に、工藤庄司景光、佐与美の水干を着す、と云うこと見ゆ。今の世に、布に細目と云うがあるは、このさよみの訛れる名なるべし。
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孫子・作戦篇師に近き者は貴く売る。貴く売れば則ち百姓財竭き、財竭くれば則ち丘役に急なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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