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政談 / 譜代者の事

譜代者と申すもの和漢ともに之を奴婢と號して古よりあるものなり、さむらい分の譜代を唐にては部曲と云ふ、此の方にては家人とも家の子とも云ふ、奴婢とは別なり、奴婢は奴婢の仲間にて婚姻を通して平人と婚姻することならず、部曲は平人と婚姻をする、されども其主人の人別に付け置きて子孫まて永々他へ離るゝことならぬ者なり、然かるに近年出替奉公人盛になりて、武家には絕えて之なく、田舍の百姓の家にも此頃は特の外に少なく成りたり、其の仔細を考ふるに譜代は面倒なるものなり、家內にて生れたる物なれは幼少より介抱入ることなり、成人しても衣食に付け諸事にをさへひかへをしてつかいたて世話にせねはならぬものなり、偖又我か家に付きたるものにて外へ行くへき所なければ見離すことなり難し、主人にあまゆる者なり、惡しき人抦にて詮方なけれは切りて棄るより外の仕方なし、

新字:譜代者と申すもの和漢ともに之を奴婢と号して古よりあるものなり、さむらい分の譜代を唐にては部曲と云ふ、此の方にては家人とも家の子とも云ふ、奴婢とは別なり、奴婢は奴婢の仲間にて婚姻を通して平人と婚姻することならず、部曲は平人と婚姻をする、されども其主人の人別に付け置きて子孫まて永々他へ離るゝことならぬ者なり、然かるに近年出替奉公人盛になりて、武家には絶えて之なく、田舎の百姓の家にも此頃は特の外に少なく成りたり、其の仔細を考ふるに譜代は面倒なるものなり、家内にて生れたる物なれは幼少より介抱入ることなり、成人しても衣食に付け諸事にをさへひかへをしてつかいたて世話にせねはならぬものなり、偖又我か家に付きたるものにて外へ行くへき所なければ見離すことなり難し、主人にあまゆる者なり、悪しき人抦にて詮方なけれは切りて棄るより外の仕方なし、

書き下し

譜代者と申すもの和漢ともに之を奴婢と号して古よりあるものなり、さむらい分の譜代を唐にては部曲と云ふ、此の方にては家人とも家の子とも云ふ、奴婢とは別なり、奴婢は奴婢の仲間にて婚姻を通して平人と婚姻することならず、部曲は平人と婚姻をする、されども其主人の人別に付け置きて子孫まて永々他へ離るゝことならぬ者なり、然かるに近年出替奉公人盛になりて、武家には絶えて之なく、田舎の百姓の家にも此頃は特の外に少なく成りたり、其の仔細を考ふるに譜代は面倒なるものなり、家内にて生れたる物なれは幼少より介抱入ることなり、成人しても衣食に付け諸事にをさへひかへをしてつかいたて世話にせねはならぬものなり、偖又我か家に付きたるものにて外へ行くへき所なければ見離すことなり難し、主人にあまゆる者なり、悪しき人抦にて詮方なけれは切りて棄るより外の仕方なし、

現代語訳

譜代者というものは、日本でも中国でもこれを奴婢と呼んで昔からあるものである。侍身分の譜代を中国では部曲といい、日本では家人とも家の子ともいう。奴婢とは別である。奴婢は奴婢の仲間で婚姻を結び、平人と婚姻することはできない。部曲は平人と婚姻をする。けれどもその主人の人別に付けておいて、子孫まで永く他へ離れることのできない者である。ところが近年、出替り奉公人(一年契約で入れ替わる奉公人)が盛んになって、武家には譜代がまったくいなくなり、田舎の百姓の家にもこの頃はことのほか少なくなった。そのわけを考えると、譜代は面倒なものである。家の中で生まれた者なので、幼い頃から世話が要る。成人しても衣食につけ万事につけ、抑えたり控えさせたりして使い立て、世話をしなければならない。さらに、自分の家に付いた者でほかに行くところがないので、見放すこともできない。主人に甘える者である。性質の悪い人柄で手の施しようがなければ、斬り捨てるよりほかに仕方がない。

解説

代々仕える譜代の家来が消え、一年契約の出替り奉公人に置き換わった理由を論じる章の冒頭である。徂徠はまず譜代を定義し、ついで譜代が嫌われた理由を正直に挙げる。幼い時から世話が要り、行き場がないので見放せず、甘えも生じる。つまり譜代は面倒でコストがかかる。この分析は、長期雇用と短期契約をめぐる今日の議論と驚くほど重なる。長く抱える人材には育成と責任の負担が伴う。その負担を避けた結果として何を失うのかを、徂徠は以下で論じていく。

この章句が説くこと

譜代雇用人材育成奉公長期

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