政談 / 遊女河原者の種姓の分事並に乞食の締りの事
其の樣子如何樣にも上聞に達して、上の思召の筋のやうなり、其頃は朱子學を御信向にて、理學のすちにて心の上の詮議專らなり、美濃守は禪者にて儒者の理すちは餘り平生は信向無かりしなり、其の時某申し候は世間に飢饉もまいらはかやうなる者は他領にもいくらも出つへし、親棄と云は珍らしき事なり、此等親棄にしていかやうの刑にも行ひたらは他領の手本なるへし、某存し候は箇樣なるものゝ所より出つるやうにすること第一代官郡奉行の科なり、其の上は家老の科なり、其の上にも科人有るへし、道入か科は甚た輕きことなりと某末座より申したるを美濃守聞きて始めて尤もなりと云ひて、扶持一人扶持道入にとらせてその所へ返し置き、某ことを用にも立つへきものなりとて懇にしたりしはこのことより始まれり、
新字:其の様子如何様にも上聞に達して、上の思召の筋のやうなり、其頃は朱子学を御信向にて、理学のすちにて心の上の詮議専らなり、美濃守は禅者にて儒者の理すちは余り平生は信向無かりしなり、其の時某申し候は世間に飢饉もまいらはかやうなる者は他領にもいくらも出つへし、親棄と云は珍らしき事なり、此等親棄にしていかやうの刑にも行ひたらは他領の手本なるへし、某存し候は箇様なるものゝ所より出つるやうにすること第一代官郡奉行の科なり、其の上は家老の科なり、其の上にも科人有るへし、道入か科は甚た軽きことなりと某末座より申したるを美濃守聞きて始めて尤もなりと云ひて、扶持一人扶持道入にとらせてその所へ返し置き、某ことを用にも立つへきものなりとて懇にしたりしはこのことより始まれり、
書き下し
其の様子如何様にも上聞に達して、上の思召の筋のやうなり、其頃は朱子学を御信向にて、理学のすちにて心の上の詮議専らなり、美濃守は禅者にて儒者の理すちは余り平生は信向無かりしなり、其の時某申し候は世間に飢饉もまいらはかやうなる者は他領にもいくらも出つへし、親棄と云は珍らしき事なり、此等親棄にしていかやうの刑にも行ひたらは他領の手本なるへし、某存し候は箇様なるものゝ所より出つるやうにすること第一代官郡奉行の科なり、其の上は家老の科なり、其の上にも科人有るへし、道入か科は甚た軽きことなりと某末座より申したるを美濃守聞きて始めて尤もなりと云ひて、扶持一人扶持道入にとらせてその所へ返し置き、某ことを用にも立つへきものなりとて懇にしたりしはこのことより始まれり、
現代語訳
そのことは何らかの形で将軍のお耳にも達していて、上のお考えの筋もあるようであった。その頃は(将軍が)朱子学を信奉されていて、理学の筋で心の上の詮議ばかりが盛んであった。美濃守は禅をする人で、儒者の理屈はふだんあまり信じていなかった。その時、私が申し上げたのは、「世間に飢饉でも来れば、このような者は他領からもいくらでも出るだろう。親棄てというのは珍しい事である。これを親棄てとしてどんな刑にでも処したなら、他領の手本となろう。私の考えでは、このような者が領内から出るようにしたことは、第一に代官や郡奉行の罪である。その上は家老の罪である。その上にも罪人があるはずだ。道入の罪はたいへん軽い」と末座から申し上げたのを、美濃守が聞いて初めて「もっともだ」と言い、一人扶持(一人分の扶持米)を道入に与えて元の所へ帰した。私を役に立つ者だと目をかけてくれたのは、この事から始まったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』號令國を安んずるの道は、道、地に任ずるより始まる。地、其の任を得れば則ち功成り、地、其の任を得ざれば則ち勞して功無し。人も亦た此を為す。備え、先に具えざる者は以て主を安んずる無し。吏卒民、多く心の一ならざる者は、皆な其の将長に在り。諸そ賞罰を行い及び治むること有る者は、必ず公より出づ。王、數しば人をして行き勞わしめ、邉城關塞を守り、蠻夷に備うるの勞苦なる者に賜い、其の守率の財用の餘り有ると足らざるとを舉げ、地形の當に邉を守るべき者、其の器備の常に多き者を舉ぐ。邉の縣邑は、其の樹木の惡しきを視れば、則ち用を少なくす。田、辟けざれば、食を少なくす。大屋・草盖無ければ、乗を用うるを少なくす。財多ければ、民、食を好む。内堞を為り、内に行棧し、器備を其の上に置く。城上の吏・卒・養は、皆な舍を道の内に為り、各おの其の隔部に當たる。養は十二人。符を為る者を養吏一人と曰い、諸門を辦護す。門者及び守禁有る者は、皆な事無き者をして其の旁らに稽留するを得しむる無かれ。令に従わざる者は戮す。敵人、但だ至らば、千丈の城は、必ず郭、之に近づき、主人、利し。千丈を盡くさざる者は迎うる勿かれ。敵の居曲、衆少を視て之に應ず。此れ守城の大體なり。其の此の中に在らざる者は、皆な心術と人事と之を參う。
-
『呻吟語』外篇・世運・氣化の罪に非ざるなり世界は一般に是れ唐虞の時の世界なり。黎民は一般に是れ唐虞の時の黎民なり。而るに治は古に若かず。氣化の罪に非ざるなり。
-
史記 魯仲連鄒陽列伝「事将に柰何せん」と。平原君曰く、「勝や何ぞ敢て事を言はん。前に四十万の衆を外に亡ひ、今又内に邯鄲を囲まれて去らしむる能はず。魏王、客将軍新垣衍をして趙をして秦を帝とせしめんとす。今其の人是に在り。勝や何ぞ敢て事を言はん」と。魯仲連曰く、「吾始め君を以て天下の賢公子と為せり。吾乃ち今然る後に君の天下の賢公子に非ざるを知る。梁の客新垣衍安くに在る。吾請ふ、君の為に責めて之を帰さん」と。平原君曰く、「勝請ふ、紹介を為して之を先生に見えしめん」と。平原君遂に新垣衍に見えて曰く、「東国に魯仲連先生なる者有り。今其の人此に在り。勝請ふ、紹介を為して之を将軍に交へん」と。新垣衍曰く、「吾聞く、魯仲連先生は斉国の高士なりと。衍は人臣なり。使事に職有り。吾魯仲連先生に見ゆるを願はず」と。平原君曰く、「勝既已に之を泄らせり」と。新垣衍許諾す。魯連、新垣衍に見えて言無し。新垣衍曰く、「吾此の囲城の中に居る者を視るに、皆平原君に求むる有る者なり。今吾先生の玉貌を観るに、平原君に求むる有る者に非ず。曷為れぞ久しく此の囲城の中に居りて去らざる」と。魯仲連曰く、「世、鮑焦を以て従頌無くして死する者と為すは、皆非なり。衆人知らず、則ち一身の為にすと。
-
論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
-
『春秋左氏伝』昭公二十年 伍奢、讒を信ずるを諫む二十年、春、王の二月、己丑、日南至す。梓慎氛を望みて曰く、「今茲宋に亂有り、國幾ど亡びん。三年にして後に弭まん。蔡に大喪有らん」と。叔孫昭子曰く、「然らば則ち戴・桓なり。汏侈無禮、已に甚し。亂の在る所なり」と。費無極楚子に言ひて曰く、「建と伍奢と、將に方城の外を以て叛かんとす。自ら以て猶ほ宋・鄭のごとしと為す。齊・晉又交々之を輔く。將に以て楚を害せんとす。其の事集まれり」と。王之を信じ、伍奢に問ふ。伍奢對へて曰く、「君一たび過つこと多し。何ぞ讒を信ずる」と。王伍奢を執ふ。城父の司馬奮揚をして大子を殺さしむ。未だ至らずして、使ひして之を遣らしむ。三月、大子建宋に奔る。王奮揚を召す。奮揚城父の人をして己を執へしめて以て至る。王曰く、「言余が口より出でて、爾の耳に入る。誰か建に告げし」と。對へて曰く、「臣之に告ぐ。君王臣に命じて曰く、『建に事ふること余に事ふるが如くせよ』と。臣不佞にして、苟くも貳する能はず。初めを奉じて以て還(めぐ)らし、後の命に忍びず。故に之を遣る。既にして之を悔ゆるも、亦た及ぶ無きのみ」と。王曰く、「而(なんぢ)敢へて來るは、何ぞや」と。對へて曰く、「使はされて命を失ひ、
-
『長短経』運命其の説甚だ邇くして、其の災甚だ惨し。伝に曰く「万物の怪は書に説かず。無用の弁、不急の察は、棄てて治めざるなり」と。墨翟曰く「古の聖王は、孝子を挙げて之に親に事うることを勧め、賢良を尊びて之に善を為すことを勧め、憲令を発して以て教誨し、賞罰を明らかにして以て勧めを助く。此くの若くんば則ち乱るる者も理まらしむべく、危うき者も安からしむべし。若し以て然らずと為さば、昔、桀の乱す所を湯之を理め、紂の乱す所を武王之を理む。此れ世渝らずして人改まらず、上政を変じて人教えを易う。則ち安危治乱は、上の政を発するに存す。豈に命有りと為すべけんや」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る