政談 / 遊女河原者の種姓の分事並に乞食の締りの事
戶籍に付け此頃承はりたることあり、或同心の男同居したるが、鹽を賣りて渡世す、此の者左る武家屋敷に入りて出づるとき鹽籠の內にかんな屑木切のあるを門番見付けて門を出す事ならす、夫を出して出よと云ふとき、其の木切れはかりを出してかんな屑をば出さず、門番夫をも出せと言へば彼のもの腹立ちて惡口する故、門番打倒し、夫より詮議になりて件の鹽賣もその兄も牢舍すと云ふ、是は定めてかくし町を御制禁ある故、同心は商人をおきたると云ふ答成べし、同心は細工をして渡世をすること常なり、輕きものゝことなり、其の男同居するが鹽を商ふたればとてかくし町とは各別なるべし、又かんな屑を取りたれはとて夫れ程の事を盜人と云たること法にかゝりて治めを知らぬなるべし、詩經の太田の篇には彼處に落せる稻束あり、茲に落ちたる穗有り、これ寡婦の利なりと云へり、百姓の收級をするときはこゝに稻束稻穗落ちて有るを其の村に住むやもめ女などはそれを拾ひて所務とするをさだまりたることにして、盜などゝは仲々名をも付けず、古詩經の時分よりいま日本にも田舍はかりのことし、都は田舍にも劣りてかんな屑をひろふをもぬすひとゝ云ふはいかなる治めの風俗成るらん、
新字:戸籍に付け此頃承はりたることあり、或同心の男同居したるが、塩を売りて渡世す、此の者左る武家屋敷に入りて出づるとき塩籠の内にかんな屑木切のあるを門番見付けて門を出す事ならす、夫を出して出よと云ふとき、其の木切れはかりを出してかんな屑をば出さず、門番夫をも出せと言へば彼のもの腹立ちて悪口する故、門番打倒し、夫より詮議になりて件の塩売もその兄も牢舎すと云ふ、是は定めてかくし町を御制禁ある故、同心は商人をおきたると云ふ答成べし、同心は細工をして渡世をすること常なり、軽きものゝことなり、其の男同居するが塩を商ふたればとてかくし町とは各別なるべし、又かんな屑を取りたれはとて夫れ程の事を盗人と云たること法にかゝりて治めを知らぬなるべし、詩経の太田の篇には彼処に落せる稲束あり、茲に落ちたる穂有り、これ寡婦の利なりと云へり、百姓の収級をするときはこゝに稲束稲穂落ちて有るを其の村に住むやもめ女などはそれを拾ひて所務とするをさだまりたることにして、盗などゝは仲々名をも付けず、古詩経の時分よりいま日本にも田舎はかりのことし、都は田舎にも劣りてかんな屑をひろふをもぬすひとゝ云ふはいかなる治めの風俗成るらん、
書き下し
戸籍に付け此頃承はりたることあり、或同心の男同居したるが、塩を売りて渡世す、此の者左る武家屋敷に入りて出づるとき塩籠の内にかんな屑木切のあるを門番見付けて門を出す事ならす、夫を出して出よと云ふとき、其の木切れはかりを出してかんな屑をば出さず、門番夫をも出せと言へば彼のもの腹立ちて悪口する故、門番打倒し、夫より詮議になりて件の塩売もその兄も牢舎すと云ふ、是は定めてかくし町を御制禁ある故、同心は商人をおきたると云ふ答成べし、同心は細工をして渡世をすること常なり、軽きものゝことなり、其の男同居するが塩を商ふたればとてかくし町とは各別なるべし、又かんな屑を取りたれはとて夫れ程の事を盗人と云たること法にかゝりて治めを知らぬなるべし、詩経の太田の篇には彼処に落せる稲束あり、茲に落ちたる穂有り、これ寡婦の利なりと云へり、百姓の収級をするときはこゝに稲束稲穂落ちて有るを其の村に住むやもめ女などはそれを拾ひて所務とするをさだまりたることにして、盗などゝは仲々名をも付けず、古詩経の時分よりいま日本にも田舎はかりのことし、都は田舎にも劣りてかんな屑をひろふをもぬすひとゝ云ふはいかなる治めの風俗成るらん、
現代語訳
戸籍に関して、最近聞いたことがある。ある同心の家に男が同居していて、塩を売って暮らしていた。この者がある武家屋敷に入って出るとき、塩籠の中にかんな屑や木切れがあるのを門番が見つけて、門を出さなかった。それを出してから出よと言うと、その木切れだけを出して、かんな屑は出さない。門番がそれも出せと言うと、男は腹を立てて悪口を言ったので、門番が打ち倒し、それから取り調べになって、その塩売りもその兄も牢に入れられたという。これはきっと、隠し町(無許可の町家経営)を禁じているので、同心が商人を住まわせたことを咎めたのであろう。同心が細工物を作って暮らしを立てるのは普通のことで、身分の軽い者のことである。その男が同居して塩を商ったからといって、隠し町とは別のことであろう。また、かんな屑を取ったからといって、それほどのことを盗人と言うのは、法に引っかかるばかりで治めを知らないのであろう。『詩経』の大田の篇には「あそこには取り残した稲束があり、ここには落ちた穂がある。これは寡婦の取り分である」とある。百姓が収穫するとき、あちこちに稲束や稲穂が落ちているのを、その村に住む寡婦などが拾って暮らしの足しにするのが定まったことで、盗みなどとはまったく名付けない。古く『詩経』の時代から、今の日本でも田舎ではそうである。都は田舎にも劣り、かんな屑を拾うのまで盗人と言うのは、いったいどういう治めの風俗なのだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』用人第二十七人に君たる者、能く賢巧の能はざる所を去りて、中拙の万に失はざる所を守れば、則ち人力尽きて功名立つ。明主は為すべきの賞を立て、避くべきの罰を設く。故に賢者は賞に勧みて子胥の禍ひを見ず、不肖者は罪少なくして傴の背を剖かるるを見ず。盲者も平に処りて深谿に遇はず、愚者も静を守りて険危に陥らず。此の如くなれば、則ち上下の恩結ぶ。古の人曰く、「其の心は知り難く、喜怒は中て難し」と。故に表を以て目に示し、鼓を以て耳に語り、法を以て心に教ふ。人に君たる者、三易の数を釈てて一難知の心を行へば、此の如くなれば、則ち怒り上に積もりて怨み下に積もる。
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『格言聯璧』從政類・法を執ること山の如し法を執ること山の如く、身を守ること玉の如く、民を愛すること子の如く、蠹を去ること仇の如くす。 一の無辜を陷るるは、刀を操りて人を殺す者と何ぞ別たん。 一の大憝を釋すは、虎を縱ちて人を傷つくる者と殊なる無し。 針芒手を刺し、茨棘足を傷つくれば、體を舉げて痛楚す、刑の慘なること此に百倍す、喜怒を以て之を施すべけんや。
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『韓非子』難一第三十六郄子因りて曰く、「胡ぞ以て徇へざる」と。其の僕曰く、「曩には将に之を救はんとするにあらずや」と。郄子曰く、「吾敢て謗を分かたざらんや」と。或ひと曰く、郄子の言は、察せざる可からざるなり、謗を分かつに非ざるなり。韓子の斬る所や、若し罪人ならば、則ち救ふ可からず、罪人を救ふは、法の敗るる所以なり、法敗るれば則ち国乱る。若し罪人に非ざれば、則ち之に勧むるに徇ふるを以てす可からず、之に勧むるに徇ふるを以てするは、是れ不辜を重ぬるなり、不辜を重ぬるは、民の怨みを起こす所以の者なり、民怨めば則ち国危ふし。郄子の言は、危ふからざれば則ち乱る、察せざる可からざるなり。且つ韓子の斬る所若し罪人ならば、郄子奚ぞ分かたん。斬ること若し罪人に非ざれば、則ち已に之を斬れり、而して郄子乃ち至る、是れ韓子の謗已に成りて郄子且つ後れて至るなり。夫れ郄子の「以て徇へよ」と曰ふは、以て人を斬るの謗を分かつに足らずして、又徇ふるの謗を生ず。是れ子謗を分かつと言ふか。昔者紂炮烙を為る、崇侯・悪来又渉る者の脛を斬れと曰ふ、奚ぞ紂の謗を分かたん。且つ民の上に望むや甚だし、韓子得ざれば、且に郄子の之を得んことを望まんとす。今郄子俱に得ず、則ち民上に望みを絶たん。故に曰く、郄子の言は謗を分かつに非ず、謗を益すなり、と。且つ郄子の往きて罪を救ふや、韓子を以て非と為すなり。其の非と為す所以を道はずして、之に「以て徇へよ」と勧む、是れ韓子をして其の過を知らざらしむるなり。夫れ下は民をして望みを上に絶たしめ、又韓子をして其の失を知らざらしむ、吾未だ郄子の謗を分かつ所以の者を得ざるなり。桓公管仲の束縛を解きて之を相とす。管仲曰く、「臣寵有り、然り而して臣卑し」と。公曰く、「子をして高・国の上に立たしめん」と。管仲曰く、「臣貴し、然り而して臣貧し」と。公曰く、「子をして三帰の家を有たしめん」と。管仲曰く、「臣富めり、然り而して臣䟽し」と。是に於て立てて以て仲父と為す。
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『呻吟語』外篇・治道・法は一なり法とは、一なり。法曹とは、此の一を執るなり。貧富貴賤を以て之を二にせば、則ち法に非ざるなり。或るひと曰く、「親貴は疏賤と法を同じくし難し」と。曰く、「是なり、八議已に之を別てり」と。八議の別たざる所にして亦た之を二にせば、將た何の說をか之れ辭せん。夫れ天子の法を執りて己の爵祿を顧忌し、以て高明に徇ひて煢獨を虐ぐるは、國法天道を如何せん。綱を裂き紀を壞り、善を摧き惡を長ずれば、國必ず病まん。
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『韓非子』定法第四十三問ふ者曰く、「徒だ術のみにして法無く、徒だ法のみにして術無きは、其の不可なるは何ぞや。」対へて曰く、「申不害は、韓の昭侯の佐なり。韓は、晋の別国なり。晋の故法未だ息まずして、韓の新法又生じ、先君の令未だ収めずして、後君の令又下る。申不害其の法を擅にせず、其の憲令を一にせざれば、則ち姦多し。故に利故法前令に在れば則ち之に道り、利新法後令に在れば則ち之に道る。利故新相反し、前後相勃るに在れば、則ち申不害十たび昭侯をして術を用ひしむと雖も、而も姦臣猶ほ其の辞を譎る所有り。故に万乗の勁韓に託して、十七年にして霸王に至らざる者は、術を上に用ふと雖も、法勤めて官に飾へざるの患なり。公孫鞅の秦を治むるや、告相坐を設けて其の実を責め、什伍を連ねて其の罪を同じくし、賞厚くして信、刑重くして必なり。是を以て其の民力を用ひて労して休まず、敵を逐ひて危ふくして却かず、故に其の国富みて兵強し。
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『政談』大坂在番の事且又大坂にては下々の欠落常にある事なり、欠落は大方は御城下へ出てゝ定の刻限に帰らぬ故直に欠落になるなり、又行きかた知れず失することもあり、大方は博奕などの意趣によりで海へ突落して殺す成るへし、又欠落したるものが十日計りも過きて後御城内へ来り、其の儘又何方へやらん行くこともありと承はる、不思議千万なることなり、畢竟御堀を越え来るべきやうなし、御門より出入するか、御城中にかくれ居るか、此の二つを出つべからず、惣じて余りに法厳しく、一事あれば詮議六ケ敷故、面々に事のなきやうにと心得ることを、御番衆の伝授にすることにて斯の如きこと却て知れぬと見えたり、法を末にて厳しくして、元来法の立てやうに行届かぬ所有れば、必ず斯の如くなるものなり、大坂御番に限らず、当時は何方も〳〵斯の如し、心得あるべきこと也、
人生を、一行の式にしてみた。
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