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政談 / 遊女河原者の種姓の分事並に乞食の締りの事

乞食非人と云ふものは元來種姓に變りもなく平人よりなるものなり、然るに火をも一つにせず、團左衛門手下にすることは元來癩病人より起る、癩病人を世のならはしにて三寳に棄てられたるものなりとて、京都にて之を悲田院にさし置き火を一つにせざりしより起れり、田舍にては乞食と云ふは皆癩病人なり、今も斯の如し、御當地にては善七を乞食の頭とすること東照宮の御時よりの御定と云ふことなれば、當地乞食のたぐひは其の通のことなり、

新字:乞食非人と云ふものは元来種姓に変りもなく平人よりなるものなり、然るに火をも一つにせず、団左衛門手下にすることは元来癩病人より起る、癩病人を世のならはしにて三宝に棄てられたるものなりとて、京都にて之を悲田院にさし置き火を一つにせざりしより起れり、田舎にては乞食と云ふは皆癩病人なり、今も斯の如し、御当地にては善七を乞食の頭とすること東照宮の御時よりの御定と云ふことなれば、当地乞食のたぐひは其の通のことなり、

書き下し

乞食非人と云ふものは元来種姓に変りもなく平人よりなるものなり、然るに火をも一つにせず、団左衛門手下にすることは元来癩病人より起る、癩病人を世のならはしにて三宝に棄てられたるものなりとて、京都にて之を悲田院にさし置き火を一つにせざりしより起れり、田舎にては乞食と云ふは皆癩病人なり、今も斯の如し、御当地にては善七を乞食の頭とすること東照宮の御時よりの御定と云ふことなれば、当地乞食のたぐひは其の通のことなり、

現代語訳

乞食・非人というものは、もともと出自に違いはなく、平人からなった者である。それなのに火を一緒にせず(煮炊きの火を分けて交わらず)、団左衛門の手下にするのは、もとは癩病(ハンセン病)の人から起こったことである。癩病の人を世間の習わしで三宝(仏)に見捨てられた者だとして、京都でこれを悲田院に置き、火を一緒にしなかったことから起こった。田舎では乞食というのはみな癩病の人である。今もそうである。この江戸では善七(車善七、非人頭)を乞食の頭とすることが東照宮(家康)の時代からの定めだということなので、江戸の乞食の類いはそのとおりにすればよい。

解説

乞食・非人を平人と隔てる慣習の起源を、悲田院に病者を隔離した京都の風習にさかのぼる条である。徂徠はまず、乞食は出自の異なる者ではなく平人がなったものだと事実を確認する。隔離の起点が病への偏見だったという指摘は、ハンセン病への差別の歴史を思えば重い。制度や慣習がなぜ生まれたかをたどると、合理的な理由ではなく偏見や便宜に行き着くことがある。組織の規則も、起源を問い直すと根拠が失われているものがある。前例だからと続けるのではなく、由来を確かめる姿勢を学びたい。

この章句が説くこと

乞食偏見慣習起源救済非人

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