政談 / 戶籍の事
尙又諸國を吟味せは地廣く、民少なき所も有るへし、昔五島淡路守公儀へ願ひて江戶のこもかぶり申受け五島へつれゆきたることあり、かの地に人少なき故なり、又當時諸所に新田開發あるに、多くは江戶の者請負ひて開く故耕やす人なく、その所の人を雇ふとき其の所にも今は人なし、これによりて功を成就し難しと承はる、此筈のことなり、此等の所へ仕付たる仕かたもあるへし、惣して出羽奥州は土地殊の外廣く人民少なしと承はるなり、さて又田舍の人は風俗にて雜穀を食する故人何程多くてもあまらぬものなり、これ人御城下のつもりとは各別なりとしるへし、
新字:尚又諸国を吟味せは地広く、民少なき所も有るへし、昔五島淡路守公儀へ願ひて江戸のこもかぶり申受け五島へつれゆきたることあり、かの地に人少なき故なり、又当時諸所に新田開発あるに、多くは江戸の者請負ひて開く故耕やす人なく、その所の人を雇ふとき其の所にも今は人なし、これによりて功を成就し難しと承はる、此筈のことなり、此等の所へ仕付たる仕かたもあるへし、惣して出羽奥州は土地殊の外広く人民少なしと承はるなり、さて又田舎の人は風俗にて雑穀を食する故人何程多くてもあまらぬものなり、これ人御城下のつもりとは各別なりとしるへし、
書き下し
尚又諸国を吟味せは地広く、民少なき所も有るへし、昔五島淡路守公儀へ願ひて江戸のこもかぶり申受け五島へつれゆきたることあり、かの地に人少なき故なり、又当時諸所に新田開発あるに、多くは江戸の者請負ひて開く故耕やす人なく、その所の人を雇ふとき其の所にも今は人なし、これによりて功を成就し難しと承はる、此筈のことなり、此等の所へ仕付たる仕かたもあるへし、惣して出羽奥州は土地殊の外広く人民少なしと承はるなり、さて又田舎の人は風俗にて雑穀を食する故人何程多くてもあまらぬものなり、これ人御城下のつもりとは各別なりとしるへし、
現代語訳
なおまた諸国を吟味すれば、土地が広く民の少ない所もあるだろう。昔、五島淡路守が公儀へ願って江戸の菰かぶり(乞食)を貰い受け、五島へ連れて行ったことがある。その地に人が少ないからである。また今あちこちで新田開発があるが、多くは江戸の者が請け負って開くので耕す人がなく、その土地の人を雇おうとしても、その土地にも今は人がいない。これによって功を成し遂げにくいと聞いている。これは当然のことである。これらの所へ人を住みつかせるやり方もあるだろう。総じて出羽・奥州は土地が殊のほか広く、人民が少ないと聞いている。さてまた田舎の人は風俗で雑穀を食べるので、人がどれほど多くても余らないものである。これは御城下の見積もりとは格別であると知るべきである。
解説
この章句が説くこと
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