政談 / 戶籍の事
民は愚かなるものにて後の量見なともなく、御城下渡世惡く成りても一日暮しの心安くなるは御城下なる故、そのくせ付きて一日々々と送り、御城下を離れて古鄕へ返る心は曾て生せす、又御城下に年久しく居る內に少々の田地もなくなり、己れか屋敷にも人住めは自分とかへるへきやうなし、公儀より返さんと仕玉ひても逐ひ出さるゝと思ひて怨むる心甚しかるへけれは、諸國の聞えも惡しく不仁なるやうに沙汰すへし、惣して地頭と云ふものはその地を治むる職なり、三代の諸侯後世の郡守縣令と同しことなり、三代のときも國中の民他國へゆきて減少するを諸侯の恥とす、異國の後の代々日本の古もその治むる國郡の民の增減を吟味して、民の數增せは治めよきにさだめ、減すれは治め惡きに沙汰し、之を以て國司郡守を賞罰すること異國歷代の諸書、日本にては令のをもて分明なり、此の趣を諸大名諸地頭へ仰せ渡され、面々年貢をとるはかりを役に非す、土地を御預けなされ、その土地の民を御預け置るゝ上は、民の其の所に住兼ね他國へ散り行くやうには仕る間敷きことなり、連々と人かへしを仕り、面々其の所に有りつくやうに仕るへきことなりと屹度度々仰せ渡さるへきことなり、
新字:民は愚かなるものにて後の量見なともなく、御城下渡世悪く成りても一日暮しの心安くなるは御城下なる故、そのくせ付きて一日々々と送り、御城下を離れて古郷へ返る心は曽て生せす、又御城下に年久しく居る内に少々の田地もなくなり、己れか屋敷にも人住めは自分とかへるへきやうなし、公儀より返さんと仕玉ひても逐ひ出さるゝと思ひて怨むる心甚しかるへけれは、諸国の聞えも悪しく不仁なるやうに沙汰すへし、惣して地頭と云ふものはその地を治むる職なり、三代の諸侯後世の郡守県令と同しことなり、三代のときも国中の民他国へゆきて減少するを諸侯の恥とす、異国の後の代々日本の古もその治むる国郡の民の增減を吟味して、民の数增せは治めよきにさだめ、減すれは治め悪きに沙汰し、之を以て国司郡守を賞罰すること異国歴代の諸書、日本にては令のをもて分明なり、此の趣を諸大名諸地頭へ仰せ渡され、面々年貢をとるはかりを役に非す、土地を御預けなされ、その土地の民を御預け置るゝ上は、民の其の所に住兼ね他国へ散り行くやうには仕る間敷きことなり、連々と人かへしを仕り、面々其の所に有りつくやうに仕るへきことなりと屹度度々仰せ渡さるへきことなり、
書き下し
民は愚かなるものにて後の量見なともなく、御城下渡世悪く成りても一日暮しの心安くなるは御城下なる故、そのくせ付きて一日々々と送り、御城下を離れて古郷へ返る心は曽て生せす、又御城下に年久しく居る内に少々の田地もなくなり、己れか屋敷にも人住めは自分とかへるへきやうなし、公儀より返さんと仕玉ひても逐ひ出さるゝと思ひて怨むる心甚しかるへけれは、諸国の聞えも悪しく不仁なるやうに沙汰すへし、惣して地頭と云ふものはその地を治むる職なり、三代の諸侯後世の郡守県令と同しことなり、三代のときも国中の民他国へゆきて減少するを諸侯の恥とす、異国の後の代々日本の古もその治むる国郡の民の增減を吟味して、民の数增せは治めよきにさだめ、減すれは治め悪きに沙汰し、之を以て国司郡守を賞罰すること異国歴代の諸書、日本にては令のをもて分明なり、此の趣を諸大名諸地頭へ仰せ渡され、面々年貢をとるはかりを役に非す、土地を御預けなされ、その土地の民を御預け置るゝ上は、民の其の所に住兼ね他国へ散り行くやうには仕る間敷きことなり、連々と人かへしを仕り、面々其の所に有りつくやうに仕るへきことなりと屹度度々仰せ渡さるへきことなり、
現代語訳
民は愚かなもので、後の考えなどもなく、御城下の暮らしが悪くなっても、その日暮らしが気楽にできるのは御城下なので、その癖がついて一日一日と送り、御城下を離れて故郷へ帰る心はまったく生じない。また御城下に年久しくいるうちに少しの田地もなくなり、自分の屋敷にも人が住んでいれば、自分から帰ることはできない。公儀から帰そうとなさっても、追い出されると思って恨む心がはなはだしいだろうから、諸国の評判も悪く、不仁なことのように取り沙汰するだろう。総じて地頭というものは、その地を治める職である。三代の諸侯、後世の郡守・県令と同じことである。三代のときも、国中の民が他国へ行って減少するのを諸侯の恥とした。異国の後の代々も、日本の古も、その治める国郡の民の増減を吟味して、民の数が増えれば治めがよいと定め、減れば治めが悪いと取り沙汰し、これによって国司・郡守を賞罰すること、異国の歴代の諸書、日本では令の面で明らかである。この趣旨を諸大名・諸地頭へ仰せ渡され、各自年貢を取るばかりが役目ではない、土地をお預けなされ、その土地の民をお預け置かれる以上は、民がその土地に住みかねて他国へ散っていくようにはしてはならない、続けて人返しをして、各自その土地に落ち着くようにせよと、きっと度々仰せ渡されるべきである。
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』外儲説右下第三十五夫れ賞は之を勧むる所以にして、毀存す。罰は之を禁ずる所以にして、誉加はる。民中立して由る所を知らず、
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『甲陽軍鑑』品第十三古語に曰、廃一善則衆善衰、賞一悪則衆悪皈と有るごとく上杉家·すがの·上原、五人の白拍子を愛するにより、すがの·上原ふるまふ者共は先此白拍子をよび、公界は法度なりとて裏座敷にて乱舞あり、左様に馳走する者は則政公御ため思ふ人なりとて、大方加恩をうくる、それを見きいて平井の諸侍、老若ともにさだちうきそゞろに心得一汁一菜の法度をも破り、右五人の白拍子のこでわき共に、菊夜又·桔梗·花をしまなどゝいふ女どもを、かなたこなたへ引まはる、平井の侍悉く不弁して召遣ふ者共に無足をさすれば、上杉家に盗人はやる、
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『韓非子』定法第四十三商君の法に曰く、『一首を斬る者は爵一級、官と為らんと欲する者は五十石の官と為す。二首を斬る者は爵二級、官と為らんと欲する者は百石の官と為す』と。官爵の遷ること斬首の功と相称ふなり。
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『韓非子』姦劫弒臣第十四人焉んぞ能く安利の道を去りて危害の処に就かんや。国を治むること此くの若く其れ過てり。而して上、下の姦無く、吏の法を奉ずることを欲するも、其の得べからざること亦明らかなり。故に左右、貞信の以て安利を得べからざるを知れば、必ず曰く、「我忠信を以て上に事へ、功労を積みて安きを求むるは、是れ猶盲にして黒白の情を知らんと欲するがごとし、必ず幾からず。若し道を以て化し正理を行ひ、富貴に趨かず、上に事へて安きを求むるは、是れ猶聾にして清濁の声を審らかにせんとするがごとし、愈幾からず。二者以て安きを得べからずんば、我安んぞ能く相比周し、主上を蔽ひ、姦私を為して以て重人に適すること無からんや」と。此れ必ず人主の義を顧みず。其の百官の吏も亦方正の以て安きを得べからざるを知れば、必ず曰く、「我清廉を以て上に事へて安きを求むるは、規矩無くして方円を為さんと欲するが若し、必ず幾からず。若し法を守り朋党せずして官を治めて安きを求むるは、是れ猶足を以て頂を搔くがごとし、愈幾からず。二者以て安きを得べからずんば、能く法を廃し私を行ひて以て重人に適すること無からんや」と。
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司馬法・天子之義賞は時を踰(こ)えず、民をして速やかに善を為すの利を得しめんと欲すればなり。罰は列を遷(うつ)さず、民をして速やかに不善を為すの害を覩(み)しめんと欲すればなり。
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