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政談 / 戶籍の事

古聖人の道に民に孝悌を敎ゆることを第一に云へるも、儒者なとの講釋をさせて民にきかせ、民の目心を發得し孝悌になるやうにすると心得るは大なる誤りなり、右に云へる如くその儘一村の間睦く、民の風俗のよくなるやうに奉行を仕こむことを孝悌を敎ふるとは云ふなり、されとも田舍なとは一郡の內の奉行一人にて治めても身に入りたらは眞の治めも成るへきことなれとも、御城下は町の廣さ人の數夥しく、只今までの風俗殊の外に惡き故仲々一人の力に及ひかたかるへし、御城下を四つにも五つにも分けて面々に奉行を立て、支配を限りて治めさせ度事なり、斯の如く眞の治をすへきと思ふても、兎角前に云ひたる戶籍の法立されは叶はさることなり、

新字:古聖人の道に民に孝悌を教ゆることを第一に云へるも、儒者なとの講釈をさせて民にきかせ、民の目心を発得し孝悌になるやうにすると心得るは大なる誤りなり、右に云へる如くその儘一村の間睦く、民の風俗のよくなるやうに奉行を仕こむことを孝悌を教ふるとは云ふなり、されとも田舎なとは一郡の内の奉行一人にて治めても身に入りたらは真の治めも成るへきことなれとも、御城下は町の広さ人の数夥しく、只今までの風俗殊の外に悪き故仲々一人の力に及ひかたかるへし、御城下を四つにも五つにも分けて面々に奉行を立て、支配を限りて治めさせ度事なり、斯の如く真の治をすへきと思ふても、兎角前に云ひたる戸籍の法立されは叶はさることなり、

書き下し

古聖人の道に民に孝悌を教ゆることを第一に云へるも、儒者なとの講釈をさせて民にきかせ、民の目心を発得し孝悌になるやうにすると心得るは大なる誤りなり、右に云へる如くその儘一村の間睦く、民の風俗のよくなるやうに奉行を仕こむことを孝悌を教ふるとは云ふなり、されとも田舎なとは一郡の内の奉行一人にて治めても身に入りたらは真の治めも成るへきことなれとも、御城下は町の広さ人の数夥しく、只今までの風俗殊の外に悪き故仲々一人の力に及ひかたかるへし、御城下を四つにも五つにも分けて面々に奉行を立て、支配を限りて治めさせ度事なり、斯の如く真の治をすへきと思ふても、兎角前に云ひたる戸籍の法立されは叶はさることなり、

現代語訳

古の聖人の道で、民に孝悌(親への孝と年長者への従順)を教えることを第一に言っているのも、儒者などに講釈をさせて民に聞かせ、民の心を目覚めさせて孝悌になるようにする、と心得るのは大きな誤りである。右に言ったように、そのまま一村の間が睦まじく、民の風俗がよくなるように奉行を仕込むことを、孝悌を教えるというのである。けれども田舎などは一郡の内を奉行一人で治めても、身を入れれば真の治めもできるだろうが、御城下は町の広さも人の数もおびただしく、今までの風俗が殊のほか悪いので、なかなか一人の力では及びがたいだろう。御城下を四つにも五つにも分けて、それぞれに奉行を立て、支配の範囲を限って治めさせたいものである。このように真の治めをしようと思っても、とにかく前に述べた戸籍の法が立たなければ、かなわないことである。

解説

徂徠の儒学観がよく出た段である。民に孝悌を教えるとは、儒者の講釈で心を目覚めさせることではなく、村が睦まじく風俗がよくなるよう奉行を仕込むことだという。道徳は説教ではなく、制度と環境によって育つという考えで、内面の修養を重んじる朱子学への批判が込められている。さらに江戸は一人の奉行には広すぎるので、四つ五つに分けて範囲を限れと説く。研修で理念を説くより、理念どおりに動ける環境を管理職が整えるほうが、人は変わるのである。

この章句が説くこと

孝悌聖人教育講釈奉行環境

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