政談 / 旅人を其の所に留置締りの事
若し他國より養子合はせの聟に來る者は先きの人別を除きて此の方の人別に入ることなれば、奉行所へ屆くべし、總して右の旅人一泊りも隔りたる所より來らば路引あるべし、路引なきは差置くべからざるなり、又添狀を請けたるもの又添狀を出だして先きより先きに之を遣はすべからず、本在所の添狀に其の譯賴み來らば苦しからず、先きにて三年の年數過ぎたらば本在所より添狀を請けたる所にて之を差置くべからず、本在所にても所を出でゝ三年の年數過ぎは奉行所へ屆くべきなり、斯の如く法を立つることは日本國中の人を江戶も田舍も皆所を定めて是はいづくの人と云ふことを極むる仕方なり、されば子孫まで永々其の所に住して當時のことく他國と混亂させす、自由に他國の人となることを禁制するとき、日本國中の人皆所を定めて其の所の土になりつく故、人たるものに皆頭支配ありて離れものと云ふものは一人もなく、是に依りて紛れ者と云ふは曾て之なき也、
新字:若し他国より養子合はせの婿に来る者は先きの人別を除きて此の方の人別に入ることなれば、奉行所へ届くべし、総して右の旅人一泊りも隔りたる所より来らば路引あるべし、路引なきは差置くべからざるなり、又添状を請けたるもの又添状を出だして先きより先きに之を遣はすべからず、本在所の添状に其の訳頼み来らば苦しからず、先きにて三年の年数過ぎたらば本在所より添状を請けたる所にて之を差置くべからず、本在所にても所を出でゝ三年の年数過ぎは奉行所へ届くべきなり、斯の如く法を立つることは日本国中の人を江戸も田舎も皆所を定めて是はいづくの人と云ふことを極むる仕方なり、されば子孫まで永々其の所に住して当時のことく他国と混乱させす、自由に他国の人となることを禁制するとき、日本国中の人皆所を定めて其の所の土になりつく故、人たるものに皆頭支配ありて離れものと云ふものは一人もなく、是に依りて紛れ者と云ふは曽て之なき也、
書き下し
若し他国より養子合はせの婿に来る者は先きの人別を除きて此の方の人別に入ることなれば、奉行所へ届くべし、総して右の旅人一泊りも隔りたる所より来らば路引あるべし、路引なきは差置くべからざるなり、又添状を請けたるもの又添状を出だして先きより先きに之を遣はすべからず、本在所の添状に其の訳頼み来らば苦しからず、先きにて三年の年数過ぎたらば本在所より添状を請けたる所にて之を差置くべからず、本在所にても所を出でゝ三年の年数過ぎは奉行所へ届くべきなり、斯の如く法を立つることは日本国中の人を江戸も田舎も皆所を定めて是はいづくの人と云ふことを極むる仕方なり、されば子孫まで永々其の所に住して当時のことく他国と混乱させす、自由に他国の人となることを禁制するとき、日本国中の人皆所を定めて其の所の土になりつく故、人たるものに皆頭支配ありて離れものと云ふものは一人もなく、是に依りて紛れ者と云ふは曽て之なき也、
現代語訳
もし他国から養子や合わせ婿に来る者は、先方の人別を除いてこちらの人別に入るのだから、奉行所へ届けるべきである。総じて右の旅人が、一泊りでも隔たった所から来たならば、路引(通行証)があるはずである。路引のない者は置いてはならない。また添え状を受けた者が、さらに添え状を出して先へ先へとその者を遣わしてはならない。本来の在所の添え状にその旨の依頼が書いてあれば差し支えない。先で三年の年数が過ぎたならば、本来の在所から添え状を受けた所ではその者を置いてはならない。本来の在所でも、土地を出て三年の年数が過ぎたら奉行所へ届けるべきである。このように法を立てることは、日本国中の人を、江戸も田舎もみな所を定めて、これはどこの人ということを決めるやり方である。そうすれば子孫まで末長くその土地に住んで、今のように他国と混乱させず、勝手に他国の人となることを禁ずるとき、日本国中の人がみな所を定めてその土地に根づくので、人である者にはみな頭(かしら)・支配があって、離れ者というものは一人もなく、これによって紛れ者というものはまったくなくなるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・應務・此れを至愚と謂ふ我事に寧耐する能はずして、事をして吾が意の如くならしむ。然らずんば躁煩す。我人を涵容する能はずして、人をして吾が意の如くならしむ。然らずんば譴怒す。是の如くんば則ち終日自在の時無し。而して事卒に以て僨れ、人卒に以て怨み、我卒に以て損す。此れを至愚と謂ふ。
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事田舎に武家居住せさる故武家田舎へ行きて放埓をするを気遣ひ、五里外へ罷出つることは今はならさることなれとも、夫とは違ひ在々所々に地頭之ある上は筋ある所へ参り放埓すへきやうなし、川狩鹿狩をも仕りて山川をかけありき、国中の地理をも知り、嶮岨にもなれ、物事に武士にわさ功者になるへし、当時は我か身江戸にありて知行所遠方なれは、なじみもなく恩義も貫ぬかす、只百姓よりは年貢をとる者と覚え、百姓は亦年貢を出だすとはかり覚え、唯々取らん取られじの心計りにて百姓に非道をするやからも之あれとも、不断に我か住所にて見なれ聞なれする時は愛憐の心も自然と生し、如何様の人にても百姓をさのみ惨くはせぬこと是亦人情なり、武家を知行所に差置くこと斯の如く徳ありて甚た宜しきことなり、
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孫子・謀攻篇孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次ぐ。
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『墨子』非攻中昔者、晉に六將軍有りて、智伯より强なるは莫し。其の土地の博く、人徒の衆きを計り、以て諸侯に抗し、以て英名を為さんと欲す。攻戰の速きに、故に其の爪牙の士を差論し、皆な舟車の衆を列ねて、以て中行氏を攻めて之を有つ。其の謀を以て既已に足れりと為し、又た兹の范氏を攻めて大いに之を敗り、三家を并せて以て一家と為すも止まず、又た趙襄子を晉陽に圍む。此くの若きに及べば、則ち韓・魏も亦た相い從いて謀りて曰く、「古者、語有り、脣亡ぶれば則ち齒寒しと。趙氏、朝に亡べば、我れ夕べに之に從わん。趙氏、夕べに亡べば、我れ朝に之に從わん。詩に曰く『魚は水を務めず、陸に將た何ぞ及ばんや』と」。是を以て三主の君、心を一にし力を戮せ、門を辟き道を除き、甲を奉じ士を興し、韓・魏は外自りし、趙氏は内自りして、智伯を擊ちて大いに之を敗る」と。
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『学問のすゝめ』三編・一身独立して一国独立すること・主客の二様に分かれ仮りにここに人口百万人の国あらん。このうち千人は智者にして、九十九万余の者は無智の小民ならん。智者の才徳をもってこの小民を支配し、あるいは子のごとくして愛し、あるいは羊のごとくして養い、あるいは威しあるいは撫し、恩威ともに行なわれてその向かうところを示すことあらば、小民も識らず知らずして上の命に従い、盗賊、人殺しの沙汰もなく、国内安穏に治まることあるべけれども、もとこの国の人民、主客の二様に分かれ、主人たる者は千人の智者にて、よきように国を支配し、その余の者は悉皆何も知らざる客分なり。すでに客分とあればもとより心配も少なく、ただ主人にのみよりすがりて身に引き受くることなきゆえ、国を患うることも主人のごとくならざるは必然、実に水くさき有様なり。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・百姓も人なり禁裏さまも人なりさて百姓に至りてはもはや目下の者もあらざれば少し当惑の次第なれども、元来この議論は人間世界に通用すべき当然の理に基づきたるものなれば、百万遍の道理にて、回れば本に返らざるを得ず。「百姓も人なり、禁裏さまも人なり、遠慮はなし」と御免を蒙り、百姓の心をもって禁裏さまの身を勝手次第に取り扱い、行幸あらんとすれば「止まれ」と言い、行在に止まらんとすれば「還御」と言い、起居眠食、みな百姓の思いのままにて、金衣玉食を廃して麦飯を進むるなどのことに至らば如何。かくのごときはすなわち日本国中の人民、身みずからその身を制するの権義なくしてかえって他人を制するの権あり。
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