呻吟語 / 内篇・應務・此れを至愚と謂ふ
我不能寧耐事,而令事如吾意,不則躁煩;我不能涵容人,而令人如吾意,不則譴怒。如是則終日無自在時矣,而事卒以僨,人卒以怨,我卒以損,此謂至愚。
書き下し
我事に寧耐する能はずして、事をして吾が意の如くならしむ。然らずんば躁煩す。我人を涵容する能はずして、人をして吾が意の如くならしむ。然らずんば譴怒す。是の如くんば則ち終日自在の時無し。而して事卒に以て僨れ、人卒に以て怨み、我卒に以て損す。此れを至愚と謂ふ。
現代語訳
自分が事に耐えられずに、事を自分の思い通りにさせようとする。そうでなければ苛立ちます。自分が人を容れられずに、人を自分の思い通りにさせようとする。そうでなければ叱り怒ります。こうなれば一日中くつろぐ時がありません。そして事は結局壊れ、人は結局怨み、自分は結局損をします。これを至って愚かと言います。
解説
思い通りにしようとする態度の代価を、三つ数え上げます。事は壊れ、人は怨み、自分は損する。しかも一日中くつろげません。四つ全部が損なので、至って愚かと呼ばれます。原因は耐える力と容れる力の不足に置かれており、相手を変えようとするのは自分の不足の裏返しだという診断になっています。相手を変えようとするのは、自分の不足の裏返しです。
この章句が説くこと
支配忍耐包容損失至愚
関連する章句
-
孫子・謀攻篇孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次ぐ。
-
『墨子』非攻中昔者、晉に六將軍有りて、智伯より强なるは莫し。其の土地の博く、人徒の衆きを計り、以て諸侯に抗し、以て英名を為さんと欲す。攻戰の速きに、故に其の爪牙の士を差論し、皆な舟車の衆を列ねて、以て中行氏を攻めて之を有つ。其の謀を以て既已に足れりと為し、又た兹の范氏を攻めて大いに之を敗り、三家を并せて以て一家と為すも止まず、又た趙襄子を晉陽に圍む。此くの若きに及べば、則ち韓・魏も亦た相い從いて謀りて曰く、「古者、語有り、脣亡ぶれば則ち齒寒しと。趙氏、朝に亡べば、我れ夕べに之に從わん。趙氏、夕べに亡べば、我れ朝に之に從わん。詩に曰く『魚は水を務めず、陸に將た何ぞ及ばんや』と」。是を以て三主の君、心を一にし力を戮せ、門を辟き道を除き、甲を奉じ士を興し、韓・魏は外自りし、趙氏は内自りして、智伯を擊ちて大いに之を敗る」と。
-
『学問のすゝめ』三編・一身独立して一国独立すること・主客の二様に分かれ仮りにここに人口百万人の国あらん。このうち千人は智者にして、九十九万余の者は無智の小民ならん。智者の才徳をもってこの小民を支配し、あるいは子のごとくして愛し、あるいは羊のごとくして養い、あるいは威しあるいは撫し、恩威ともに行なわれてその向かうところを示すことあらば、小民も識らず知らずして上の命に従い、盗賊、人殺しの沙汰もなく、国内安穏に治まることあるべけれども、もとこの国の人民、主客の二様に分かれ、主人たる者は千人の智者にて、よきように国を支配し、その余の者は悉皆何も知らざる客分なり。すでに客分とあればもとより心配も少なく、ただ主人にのみよりすがりて身に引き受くることなきゆえ、国を患うることも主人のごとくならざるは必然、実に水くさき有様なり。
-
『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・百姓も人なり禁裏さまも人なりさて百姓に至りてはもはや目下の者もあらざれば少し当惑の次第なれども、元来この議論は人間世界に通用すべき当然の理に基づきたるものなれば、百万遍の道理にて、回れば本に返らざるを得ず。「百姓も人なり、禁裏さまも人なり、遠慮はなし」と御免を蒙り、百姓の心をもって禁裏さまの身を勝手次第に取り扱い、行幸あらんとすれば「止まれ」と言い、行在に止まらんとすれば「還御」と言い、起居眠食、みな百姓の思いのままにて、金衣玉食を廃して麦飯を進むるなどのことに至らば如何。かくのごときはすなわち日本国中の人民、身みずからその身を制するの権義なくしてかえって他人を制するの権あり。
-
『学問のすゝめ』十六編・手近く独立を守ること・三杯、酒、人を呑む「一杯、人、酒を呑み、三杯、酒、人を呑む」という諺あり。今この諺を解けば、「酒を好むの欲をもって人の本心を制し、本心をして独立を得せしめず」という義なり。今日世の人々の行状を見るに、本心を制するものは酒のみならず、千状万態の事物ありて本心の独立を妨ぐることはなはだ多し。
-
『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・なんの鉄面皮あればこの破廉恥に至るやしかるに世間の父母たる者、よく子を生めども子を教うるの道を知らず、身は放蕩無頼を事として子弟に悪例を示し、家を汚し産を破りて貧困に陥り、気力ようやく衰えて家産すでに尽くるに至れば放蕩変じて頑愚となり、すなわちその子に向かいて孝行を責むるとは、はたしてなんの心ぞや。なんの鉄面皮あればこの破廉恥のはなはだしきに至るや。父は子の財を貪らんとし、姑は嫁の心を悩ましめ、父母の心をもって子供夫婦の身を制し、父母の不理屈は尤もにして子供の申し分は少しも立たず、嫁はあたかも餓鬼の地獄に落ちたるがごとく、起居眠食、自由なるものなし。一も舅姑の意に戻ればすなわちこれを不孝者と称し、世間の人もこれを見て心に無理とは思いながら、己が身に引き受けざることなればまず親の不理屈に左袒して理不尽にその子を咎むるか、あるいは通人の説に従えば、理非を分かたず親を欺けとて偽計を授くる者あり。