政談 / 旅人を其の所に留置締りの事
旅人は其の人の本在所より緣故を以て添狀を持ち來らば名主へ斷り置くべし、親類近付ならば添狀に及ばず、名主へ斷り置くべし、何れも其の在所を出るときも其の所の名主へ斷るべし、事ある時は添狀あるは添狀を出したる人の科になり、添狀なきは相對なる故其の旅人を請たる者の科になることなれば、名主委細の詮議に及ばず聽屆くべきなり、其旅人商人なとにて暫く店を持ことならば、其添狀を請たるものより請判をすべし、何れも他國逗留三年を過ぐべからず、人旅人に妻を持すること有べからず、人の古鄕を離れて他國の人となることは道先きにて身上を固むる故なり、この二色は名主の世話にして堅く禁ずべし、
新字:旅人は其の人の本在所より縁故を以て添状を持ち来らば名主へ断り置くべし、親類近付ならば添状に及ばず、名主へ断り置くべし、何れも其の在所を出るときも其の所の名主へ断るべし、事ある時は添状あるは添状を出したる人の科になり、添状なきは相対なる故其の旅人を請たる者の科になることなれば、名主委細の詮議に及ばず聴届くべきなり、其旅人商人なとにて暫く店を持ことならば、其添状を請たるものより請判をすべし、何れも他国逗留三年を過ぐべからず、人旅人に妻を持すること有べからず、人の古郷を離れて他国の人となることは道先きにて身上を固むる故なり、この二色は名主の世話にして堅く禁ずべし、
書き下し
旅人は其の人の本在所より縁故を以て添状を持ち来らば名主へ断り置くべし、親類近付ならば添状に及ばず、名主へ断り置くべし、何れも其の在所を出るときも其の所の名主へ断るべし、事ある時は添状あるは添状を出したる人の科になり、添状なきは相対なる故其の旅人を請たる者の科になることなれば、名主委細の詮議に及ばず聴届くべきなり、其旅人商人なとにて暫く店を持ことならば、其添状を請たるものより請判をすべし、何れも他国逗留三年を過ぐべからず、人旅人に妻を持すること有べからず、人の古郷を離れて他国の人となることは道先きにて身上を固むる故なり、この二色は名主の世話にして堅く禁ずべし、
現代語訳
旅人は、その人の本来の在所から縁故によって添え状(紹介状)を持ってきたならば、名主へ断っておくべきである。親類や知り合いのところならば添え状には及ばず、名主へ断っておくべきである。いずれも、その在所を出るときも、その土地の名主へ断るべきである。事があったときは、添え状のある者は添え状を出した人の科(責任)になり、添え状のない者は当人同士の取り決めなので、その旅人を受け入れた者の科になるのだから、名主は詳しい詮議には及ばず聞き届けてよい。その旅人が商人などで、しばらく店を持つのであれば、その添え状を受けた者から請判をすべきである。いずれも他国での逗留は三年を過ぎてはならない。人が旅人に妻を持たせることがあってはならない。人が故郷を離れて他国の人となるのは、行った先で身の上を固めるからである。この二つは名主の世話にして、堅く禁ずべきである。
解説
この章句が説くこと
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史記 張耳陳余列伝貫高独り怒り罵りて曰く、「誰か公をして之を為さしめし。今王実に謀無くして、并せて王を捕ふ。公等皆死せば、誰か王の反せざるを白さん」と。乃ち轞車に膠致せられ、王と長安に詣る。張敖の罪を治む。上乃ち趙の群臣賓客に詔すらく、敢て王に従ふ有らば皆族せんと。貫高と客孟舒等十余人と、皆自ら髡鉗し、王の家奴と為りて従ひ来たる。貫高至り、獄に対へて曰く、「独り吾が属之を為す。王実に知らず」と。吏治めて榜笞すること数千、刺剟して、身に撃つべき者無きも、終に復た言はず。呂后数々言ふ、張王は魯元公主の故を以て、宜しく此れ有るべからずと。上怒りて曰く、「張敖をして天下に拠らしめば、豈に而が女を少しとせんや」と。聴かず。廷尉貫高の事の辞を以て聞す。上曰く、「壮士なり。誰か知る者ぞ。私を以て之に問へ」と。中大夫泄公曰く、「臣の邑子にして、素より之を知る。此れ固より趙国の名義を立てて侵されず、然諾を為す者なり」と。上泄公をして節を持して之に箯輿の前に問はしむ。仰ぎ視て曰く、「泄公か」と。泄公労苦すること生平の驩の如く、与に語り、張王果して計謀有りや不やを問ふ。高曰く、「人情寧ぞ各々其の父母妻子を愛せざらんや。今吾が三族皆以て死に論ぜらる。豈に王を以て吾が親に易へんや。顧ふに王実に反せず、独り吾等之を為せり」と。具に本指の為す所以と王の知らざる状とを道ふ。是に於て泄公入り、具に以て報ず。上乃ち趙王を赦す。上貫高の人と為り能く然諾を立つるを賢とし、泄公をして具に之に告げしめて曰く、「張王已に出でたり」と。因りて貫高を赦す。貫高喜びて曰く、「吾が王審らかに出でたるか」と。泄公曰く、「然り」と。泄公曰く、「上足下を多とす。故に足下を赦す」と。貫高曰く、「死せずして一身に余無き所以の者は、張王の反せざるを白さんとすればなり。今王已に出づ。吾が責已に塞がる。死すとも恨みず。且つ人臣として篡殺の名有り、何の面目ありて復た上に事へんや。縦ひ上我を殺さずとも、我心に愧ぢざらんや」と。乃ち仰ぎて骯を絶ち、
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論語・衛霊公篇子曰わく、君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む。
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論語・季氏篇孔子曰く、禄の公室を去ること、五世なり。政の大夫に逮ぶこと、四世なり。故に夫の三桓の子孫、微なり。
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論語・憲問篇子曰く、「我を知ること莫きかな。」子貢曰く、「何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。」子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天か。」
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論語・里仁篇子曰わく、父母在すれば、遠く遊ばず。遊ぶに必ず方有り。
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史記 李将軍列伝広大将軍に謝せずして起ちて行き、意甚だ慍怒して部に就き、兵を引きて右将軍食其と軍を合はせて東道より出づ。軍に導亡く、或いは道を失ひ、大将軍に後る。大将軍単于と接戦し、単于遁走し、得る能はずして還る。南のかた幕を絶りて、前将軍・右将軍に遇ふ。広已に大将軍に見え、還りて軍に入る。大将軍長史をして糒醪を持ちて広に遺らしめ、因りて広・食其の道を失ひし状を問ふ。青書を上りて天子に軍の曲折を報ぜんと欲す。広未だ対へず。大将軍長史をして急に広を責めて幕府に之きて簿に対へしむ。広曰く、「諸校尉は罪無し。乃ち我自ら道を失へり。吾今自ら簿に上らん」と。莫府に至り、広其の麾下に謂ひて曰く、「広結髪より匈奴と大小七十余戦す。今幸ひに大将軍に従ひて出でて単于の兵に接す。而るに大将軍又広の部を徙して行くこと回遠にし、而して又迷ひて道を失ふ。豈に天に非ずや。且つ広は年六十余なり。終に復た刀筆の吏に対する能はず」と。遂に刀を引きて自剄す。広の軍の士大夫一軍皆哭す。百姓之を聞き、知ると知らざると、老壮と無く皆為に涕を垂る。
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