政談 / 出替り奉公人の締りの事
されとも昔は欠落逐電のたぐひなどは其儘さし置かず、尋ね出して成敗し、見當り次第成敗すること武家の風俗なり、諸國なれは急に追掛打とむることなる故、武士は人々打替袋に米と錢とを入れ鞋をくゝり付け、不斷の居間に掛け置を心掛よきとするは左樣の節急に追掛んためなり、御城下なれば箱根笛吹に急に人を遣すやうなること某覺候ても武家の風俗寛文の頃まては斯の如くなり、されども法の立てやう元來未熟なる故欠落逐電之ありといへども、唯武風烈しきによりて少なく、また御當地へ來り隱れ居るやうなる上をないがしろにしたることは之なきなり、また公法も嚴に武士の風儀もよき故、左樣なるものをば仰付けを待たすして尋ね出し打ちすつるは恥を知りたる故なり、
新字:されとも昔は欠落逐電のたぐひなどは其儘さし置かず、尋ね出して成敗し、見当り次第成敗すること武家の風俗なり、諸国なれは急に追掛打とむることなる故、武士は人々打替袋に米と銭とを入れ鞋をくゝり付け、不断の居間に掛け置を心掛よきとするは左様の節急に追掛んためなり、御城下なれば箱根笛吹に急に人を遣すやうなること某覚候ても武家の風俗寛文の頃まては斯の如くなり、されども法の立てやう元来未熟なる故欠落逐電之ありといへども、唯武風烈しきによりて少なく、また御当地へ来り隠れ居るやうなる上をないがしろにしたることは之なきなり、また公法も厳に武士の風儀もよき故、左様なるものをば仰付けを待たすして尋ね出し打ちすつるは恥を知りたる故なり、
書き下し
されとも昔は欠落逐電のたぐひなどは其儘さし置かず、尋ね出して成敗し、見当り次第成敗すること武家の風俗なり、諸国なれは急に追掛打とむることなる故、武士は人々打替袋に米と銭とを入れ鞋をくゝり付け、不断の居間に掛け置を心掛よきとするは左様の節急に追掛んためなり、御城下なれば箱根笛吹に急に人を遣すやうなること某覚候ても武家の風俗寛文の頃まては斯の如くなり、されども法の立てやう元来未熟なる故欠落逐電之ありといへども、唯武風烈しきによりて少なく、また御当地へ来り隠れ居るやうなる上をないがしろにしたることは之なきなり、また公法も厳に武士の風儀もよき故、左様なるものをば仰付けを待たすして尋ね出し打ちすつるは恥を知りたる故なり、
現代語訳
けれども昔は、欠け落ち・逐電の類などはそのままにしておかず、尋ね出して成敗し、見つけしだい成敗するのが武家の風俗であった。諸国であれば急に追いかけて討ち止めるので、武士は人々が打替袋(両端に物を入れる袋)に米と銭を入れ、草鞋を括りつけて、ふだんの居間に掛けておくのを心がけのよいこととしたのは、そのような時に急に追いかけるためである。御城下であれば、箱根や笛吹(の関所)へ急に人を遣わすようなことを、私も覚えているが、武家の風俗は寛文のころまではこのようであった。けれども法の立て方がもともと未熟なので、欠け落ち・逐電はあったとはいえ、ただ武風が烈しかったことによって少なく、また江戸へ来て隠れているような、お上をないがしろにしたことはなかったのである。また公の法も厳しく、武士の風儀もよかったので、そのような者を仰せつけを待たずに尋ね出して討ち捨てるのは、恥を知っていたからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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国語・越語上国の父兄請いて曰く、「昔者夫差吾が君を諸侯の国に恥ずかしむ。今越国も亦節あり。請う之に報いん」と。句践辞して曰く、「昔者の戦いや、二三子の罪に非ざるなり、寡人の罪なり。寡人の如き者、安(いずく)んぞ恥を知るに与(あずか)らん。請う姑(しばら)く戦うを庸うること無かれ」と。父兄又請いて曰く、「越の四封の内、吾が君に親しむこと、猶お父母のごとし。子にして父母の仇に報いんことを思い、臣にして君の讎に報いんことを思う。其れ敢えて力を尽くさざる者有らんや。請う復た戦わん」と。句践既に之を許し、乃ち其の衆を致して之に誓いて曰く、「寡人聞く、古の賢君は、其の衆の足らざるを患えずして、其の志行の恥少なきを患うと。今夫差は水犀(すいさい)の甲を衣る者億有三千、其の志行の恥少なきを患えずして、其の衆の足らざるを患う。今寡人将に天を助けて之を滅ぼさんとす。吾匹夫の勇を欲せざるなり。其の旅進旅退を欲す。進みては則ち賞を思い、退きては則ち刑を思う。此の如くなれば則ち常賞有り。進みて命を用いず、退きて則ち恥無し。此の如くなれば則ち常刑有り」と。果たして行くに、国人皆勧(はげ)み、父は其の子を勉め、兄は其の弟を勉め、婦は其の夫を勉めて曰く、「孰(たれ)か是の君にして、死すること無かるべけんや」と。是の故に呉を囿(ゆう)に敗り、又之を没に敗り、又郊に之を敗る。 夫差成を行いて曰く、「寡人の師徒は、以て君を辱むるに足らず。請う金玉・子女を以て君の辱めに賂わん」と。句践対えて曰く、「昔天越を以て呉に予(あた)うるも、呉命を受けず。今天呉を以て越に予う。越以て天の命を聴かずして、君の令を聴くべけんや。吾請う王を甬句東に達(いた)さん。吾君と二君と為らんか」と。夫差対えて曰く、「寡人礼において一飯に先んず。君若し周室を忘れずして、弊邑の宸宇と為らば、亦寡人の願いなり。君若し『吾将に汝の社稷を残い、汝の宗廟を滅ぼさんとす』と曰わば、寡人請う死せん。余何の面目ありて以て天下に視(しめ)さんや」と。越君其れ次(やど)る。遂に呉を滅ぼす。
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『武士道』第八章 名譽・恥を知るは諸徳の原たとひ微小なりとも、創を蒙らんことは我が願ふ所にあらず』と。白石の既に少年の日に当り、いやしくも節を屈し、恥を負ふの事を甘んじ、以て畢生の大創を蒙り、敢て其天分を壊り、品性を害することを肯ぜざりしもの、実に士たるの本懐を吐露して違はざりしものと謂ふべし。孟子が『羞悪の心は義の端なり』と教へてより後、二千年にして、カーライルは殆ど同義の弁をなして曰へり。『恥を知るは、諸徳の原、良容善行の根なり』と。武士は恥を恐るること甚だしきものありき。我国文学は、シェイクスピアがノーフォークの口に上ぼせたるが如き雄弁なる詞句を有せざれど、なお恥を恐るるの念は、武士の頭上に懸れるダモクレスの剣なりき。然り、恥を恐るるは大に可なり。されど其の過ぐるや、往々病的なる性質を帯ぶることなきにあらず。
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論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
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『正法眼蔵随聞記』巻三是れに愧て辞すといへども、猶終に首座に請す、其の後元首座此の詞はを記録して、自らを愧しめて師の美言を顕はす、今ま是を案ずるに、昇進を望み、物のかしらとなり、長老とならんと思ふことをば、古人是を慚ぢしむ、只道を悟らんとのみ思ふて余事あるべからず、
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『正法眼蔵随聞記』巻六示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし、予在宋の時天童の浄和尚、侍者に請するにいはく、元子は外国人たりといへども、器量人なりと云ふて請す、予堅く此を辞す、其故は和国に聞へん為にも、学道の稽古の為にも、大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外国人として大叢林の侍者たらんこと、大国に人なきに似たりと難ずることやあらん、最もはぢつべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、浄和尚聞て、国を重んじ、人を愧づることを感じ、許して更に請し玉はざりしなり、
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『武士道』第八章 名譽・新井白石と小蛇の創史上、哀事多し。されど未だ人類の母エバが、騒立つ胸、戦く指に、粗き針取りて、憂に沈める良人の摘み与ふる無花果の葉を綴るの光景の如く哀しきはあらず。神明に背く覿面の罪果は、人間に固着して離るべからず。裁縫の技の如何に精妙を極むとも、未だ羞恥を包むに足るべき蔽膝を縫ふ能はず。新井白石の年少うして苦学するや、富人某といふものあり、其志の超凡なるを見、之に孫女を妻はし、且つ給するに勤学の資を以てせんと乞ひしに、白石之を辞し、『昔、霊潭に小蛇棲めり。人あり小刀を抜き、其腮に微傷を負はしむるや、たちまち丈余の大蛇と化して斃れ、頭上に尺余の創痕を有したりと云ふ。富人の欲する所は、即ち小蛇を傷くることなり。されど後来、我れ家を興し、名を成さんには、其創ことに大なるものあらん。
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