政談 / 出替り奉公人の締りの事
取り迯け引負等は武家ならはその主人の方にて斬罪にすへし、町方ならは奉行所へ渡し斬罪にすへし、取り迯引負をかへさすることあるへからす、仔細は取迯引負はそのものゝ惡事にて、その家本親類の知りたることにあらす、旣にその人を殺す上は主人の損たるへし、其奉公人わづらふことあらは主人の方にて養生いたしとらすへし、死たらは主人の方より寺へつかはし葬送すへし、兩やうともに其家本親類のねがひあらは勝手次第たるへし、出替り奉公人なれとも、その生死を主人のこゝろ儘にする上は病氣幷に死後をかまうましき道理無きなり、惣して地頭御代官は年貢をとる計りの役にあらず、その地を治むる職なれば其地の民は手前の世話にすべきことなり、欠落は叛罪なり、取迯引負は賊罪なり、斬罪と云ふことは律とは相違すれども、律は郡縣の治めなり、當時は封建の代にて武家の治なれは、先規の如く斬罪尤のことなり、
新字:取り迯け引負等は武家ならはその主人の方にて斬罪にすへし、町方ならは奉行所へ渡し斬罪にすへし、取り迯引負をかへさすることあるへからす、仔細は取迯引負はそのものゝ悪事にて、その家本親類の知りたることにあらす、既にその人を殺す上は主人の損たるへし、其奉公人わづらふことあらは主人の方にて養生いたしとらすへし、死たらは主人の方より寺へつかはし葬送すへし、両やうともに其家本親類のねがひあらは勝手次第たるへし、出替り奉公人なれとも、その生死を主人のこゝろ儘にする上は病気幷に死後をかまうましき道理無きなり、惣して地頭御代官は年貢をとる計りの役にあらず、その地を治むる職なれば其地の民は手前の世話にすべきことなり、欠落は叛罪なり、取迯引負は賊罪なり、斬罪と云ふことは律とは相違すれども、律は郡県の治めなり、当時は封建の代にて武家の治なれは、先規の如く斬罪尤のことなり、
書き下し
取り迯け引負等は武家ならはその主人の方にて斬罪にすへし、町方ならは奉行所へ渡し斬罪にすへし、取り迯引負をかへさすることあるへからす、仔細は取迯引負はそのものゝ悪事にて、その家本親類の知りたることにあらす、既にその人を殺す上は主人の損たるへし、其奉公人わづらふことあらは主人の方にて養生いたしとらすへし、死たらは主人の方より寺へつかはし葬送すへし、両やうともに其家本親類のねがひあらは勝手次第たるへし、出替り奉公人なれとも、その生死を主人のこゝろ儘にする上は病気并に死後をかまうましき道理無きなり、惣して地頭御代官は年貢をとる計りの役にあらず、その地を治むる職なれば其地の民は手前の世話にすべきことなり、欠落は叛罪なり、取迯引負は賊罪なり、斬罪と云ふことは律とは相違すれども、律は郡県の治めなり、当時は封建の代にて武家の治なれは、先規の如く斬罪尤のことなり、
現代語訳
取り逃げ・使い込みなどは、武家ならばその主人の方で斬罪にすべきである。町方ならば奉行所へ渡して斬罪にすべきである。取り逃げや使い込みを家元に返させることはあってはならない。その理由は、取り逃げ・使い込みはその者の悪事であって、その家元や親類の知ったことではない。すでにその人を殺す以上は、主人の損とすべきである。その奉公人が病気になれば、主人の方で養生させてやるべきである。死んだら主人の方から寺へ遣わして葬るべきである。どちらの場合も、その家元・親類の願いがあれば勝手しだいとする。出替り奉公人であっても、その生死を主人の心のままにする以上は、病気や死後を構わないという道理はないのである。総じて地頭・代官は年貢を取るだけの役ではない。その地を治める職であるから、その地の民は自分の世話にすべきものである。欠け落ちは叛く罪であり、取り逃げ・使い込みは賊の罪である。斬罪というのは律(古代の刑法)とは違うけれども、律は郡県制の治め方である。今は封建の世で武家の治めであるから、先例のとおり斬罪はもっともなことである。
解説
この章句が説くこと
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