政談 / 出替り奉公人の締りの事
さてその奉公人取迯け欠落引負ひ等これあるか、人に仔細これあり半途に暇出すことあらは、地頭御代官のかたへまうしつかはすへし、其とき假令この主人町人たりとも難澁なく之をうけ、名主へまうしつかはし急度其の家元親類よりそのものを尋ね出たし、その主人へ渡し、その主人の心次第再ひ召し使ふとも、武家ならば斬罪に仕つるともかまひなかるへし、町方ならば給金取返へすとなりとも、是亦その主人のまうし付け次第なるべし、人かわりと云ふことは制禁なるべし、仔細はその村より奉公に出つることはその出つるものゝ身上相當のためなり、外に又その如くその村より奉公に出たきと願ふ人は必らす有るへきことにあらさるゆゑなり、
新字:さてその奉公人取迯け欠落引負ひ等これあるか、人に仔細これあり半途に暇出すことあらは、地頭御代官のかたへまうしつかはすへし、其とき仮令この主人町人たりとも難渋なく之をうけ、名主へまうしつかはし急度其の家元親類よりそのものを尋ね出たし、その主人へ渡し、その主人の心次第再ひ召し使ふとも、武家ならば斬罪に仕つるともかまひなかるへし、町方ならば給金取返へすとなりとも、是亦その主人のまうし付け次第なるべし、人かわりと云ふことは制禁なるべし、仔細はその村より奉公に出つることはその出つるものゝ身上相当のためなり、外に又その如くその村より奉公に出たきと願ふ人は必らす有るへきことにあらさるゆゑなり、
書き下し
さてその奉公人取迯け欠落引負ひ等これあるか、人に仔細これあり半途に暇出すことあらは、地頭御代官のかたへまうしつかはすへし、其とき仮令この主人町人たりとも難渋なく之をうけ、名主へまうしつかはし急度其の家元親類よりそのものを尋ね出たし、その主人へ渡し、その主人の心次第再ひ召し使ふとも、武家ならば斬罪に仕つるともかまひなかるへし、町方ならば給金取返へすとなりとも、是亦その主人のまうし付け次第なるべし、人かわりと云ふことは制禁なるべし、仔細はその村より奉公に出つることはその出つるものゝ身上相当のためなり、外に又その如くその村より奉公に出たきと願ふ人は必らす有るへきことにあらさるゆゑなり、
現代語訳
さて、その奉公人に取り逃げ・欠け落ち・使い込みなどがあるか、あるいは人に事情があって途中で暇を出すことがあれば、地頭・代官の方へ申し遣わすべきである。そのとき、たとえその主人が町人であっても、地頭・代官は渋ることなくこれを受け、名主へ申し遣わして、必ずその家元・親類からその者を尋ね出させ、その主人へ渡し、その主人の心しだいで再び召し使うとも、武家ならば斬罪にするとも構わない。町方ならば給金を取り返すとも、これもまたその主人の申しつけしだいである。人替わり(代わりの者を差し出すこと)ということは禁じるべきである。その理由は、その村から奉公に出るのは、その出る者の身の上相応のためである。ほかにまた同じようにその村から奉公に出たいと願う人が、必ずいるとは限らないからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 張耳陳余列伝貫高独り怒り罵りて曰く、「誰か公をして之を為さしめし。今王実に謀無くして、并せて王を捕ふ。公等皆死せば、誰か王の反せざるを白さん」と。乃ち轞車に膠致せられ、王と長安に詣る。張敖の罪を治む。上乃ち趙の群臣賓客に詔すらく、敢て王に従ふ有らば皆族せんと。貫高と客孟舒等十余人と、皆自ら髡鉗し、王の家奴と為りて従ひ来たる。貫高至り、獄に対へて曰く、「独り吾が属之を為す。王実に知らず」と。吏治めて榜笞すること数千、刺剟して、身に撃つべき者無きも、終に復た言はず。呂后数々言ふ、張王は魯元公主の故を以て、宜しく此れ有るべからずと。上怒りて曰く、「張敖をして天下に拠らしめば、豈に而が女を少しとせんや」と。聴かず。廷尉貫高の事の辞を以て聞す。上曰く、「壮士なり。誰か知る者ぞ。私を以て之に問へ」と。中大夫泄公曰く、「臣の邑子にして、素より之を知る。此れ固より趙国の名義を立てて侵されず、然諾を為す者なり」と。上泄公をして節を持して之に箯輿の前に問はしむ。仰ぎ視て曰く、「泄公か」と。泄公労苦すること生平の驩の如く、与に語り、張王果して計謀有りや不やを問ふ。高曰く、「人情寧ぞ各々其の父母妻子を愛せざらんや。今吾が三族皆以て死に論ぜらる。豈に王を以て吾が親に易へんや。顧ふに王実に反せず、独り吾等之を為せり」と。具に本指の為す所以と王の知らざる状とを道ふ。是に於て泄公入り、具に以て報ず。上乃ち趙王を赦す。上貫高の人と為り能く然諾を立つるを賢とし、泄公をして具に之に告げしめて曰く、「張王已に出でたり」と。因りて貫高を赦す。貫高喜びて曰く、「吾が王審らかに出でたるか」と。泄公曰く、「然り」と。泄公曰く、「上足下を多とす。故に足下を赦す」と。貫高曰く、「死せずして一身に余無き所以の者は、張王の反せざるを白さんとすればなり。今王已に出づ。吾が責已に塞がる。死すとも恨みず。且つ人臣として篡殺の名有り、何の面目ありて復た上に事へんや。縦ひ上我を殺さずとも、我心に愧ぢざらんや」と。乃ち仰ぎて骯を絶ち、
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論語・衛霊公篇子曰わく、君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む。
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論語・季氏篇孔子曰く、禄の公室を去ること、五世なり。政の大夫に逮ぶこと、四世なり。故に夫の三桓の子孫、微なり。
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論語・憲問篇子曰く、「我を知ること莫きかな。」子貢曰く、「何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。」子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天か。」
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論語・里仁篇子曰わく、父母在すれば、遠く遊ばず。遊ぶに必ず方有り。
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史記 李将軍列伝広大将軍に謝せずして起ちて行き、意甚だ慍怒して部に就き、兵を引きて右将軍食其と軍を合はせて東道より出づ。軍に導亡く、或いは道を失ひ、大将軍に後る。大将軍単于と接戦し、単于遁走し、得る能はずして還る。南のかた幕を絶りて、前将軍・右将軍に遇ふ。広已に大将軍に見え、還りて軍に入る。大将軍長史をして糒醪を持ちて広に遺らしめ、因りて広・食其の道を失ひし状を問ふ。青書を上りて天子に軍の曲折を報ぜんと欲す。広未だ対へず。大将軍長史をして急に広を責めて幕府に之きて簿に対へしむ。広曰く、「諸校尉は罪無し。乃ち我自ら道を失へり。吾今自ら簿に上らん」と。莫府に至り、広其の麾下に謂ひて曰く、「広結髪より匈奴と大小七十余戦す。今幸ひに大将軍に従ひて出でて単于の兵に接す。而るに大将軍又広の部を徙して行くこと回遠にし、而して又迷ひて道を失ふ。豈に天に非ずや。且つ広は年六十余なり。終に復た刀筆の吏に対する能はず」と。遂に刀を引きて自剄す。広の軍の士大夫一軍皆哭す。百姓之を聞き、知ると知らざると、老壮と無く皆為に涕を垂る。
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