呻吟語 / 内篇・應務・福始禍端は皆な危道
非首任,非獨任,不可為禍福先。福始禍端,皆危道也。
新字:非首任,非独任,不可為禍福先。福始禍端,皆危道也。
書き下し
首任に非ず、獨任に非ざれば、禍福の先と為る可からず。福始禍端は、皆な危道なり。
現代語訳
自分が第一の責任者でもなく、単独の責任者でもないなら、禍福の先頭に立ってはいけません。福の始まりも禍の端緒も、どちらも危うい道です。
解説
先頭に立つ条件を、責任の所在で決めます。第一責任者か単独責任者でなければ、良いことでも悪いことでも先頭に立つな、と。福の始まりまで危うい道に数えているのが特徴で、手柄の先頭も同じだけ危ういという見方です。権限と責任が伴わないまま前に出ることの危うさを、簡潔に示した一段になっています。権限と責任が伴わないまま前に出る危うさを示しています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
責任先頭権限禍福危険
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