弁名 / 天命帝鬼神
詩曰。維天之命。於穆不已。本言天之所以降大命於周者。雖深遠不可見。亦滾滾無所底止已。子思以至誠無息論天。是其所特發。古書所無。故借引此詩以爲證。豈詩之本旨哉。宋儒弗之察。遂以爲天道之本體。亦其所見爲爾。夫誠者天之一德。豈足以盡天哉。
新字:詩曰。維天之命。於穆不已。本言天之所以降大命於周者。雖深遠不可見。亦滾滾無所底止已。子思以至誠無息論天。是其所特発。古書所無。故借引此詩以為証。豈詩之本旨哉。宋儒弗之察。遂以為天道之本体。亦其所見為爾。夫誠者天之一徳。豈足以尽天哉。
書き下し
詩に曰く、「維れ天の命、於穆として已まず」と。本と天の大命を周に降す所以の者は、深遠にして見るべからずと雖も、亦た滾滾として底止する所無きを言ふのみ。子思は至誠無息を以て天を論ず。是れ其の特に発する所にして、古書に無き所なり。故に此の詩を借り引きて以て証と為す。豈に詩の本旨ならんや。宋儒之を察せず、遂に以て天道の本体と為す。亦た其の見る所爲るのみ。夫れ誠は天の一徳なり。豈に以て天を尽くすに足らんや。
現代語訳
『詩経』に「ああ天の命は、奥深く美しくてやむことがない」とある。もともとは、天が大命を周に降した理由は奥深くて見えないけれども、絶えず流れてとどまるところがないことを言っただけである。子思は「至誠は息むことがない」として天を論じたが、これは子思が独自に言い出したことで、古書にはないものである。だからこの詩を借りて証拠にしたのである。詩の本来の意味であろうか。宋儒はこれを見抜かず、とうとう天道の本体だとした。これも彼らの見方にすぎない。そもそも誠は天の一つの徳である。どうしてそれで天を尽くせようか。
解説
詩経の「維天之命、於穆不已」は、天が周に大命を降した理由は深遠だが絶えることがないと詠んだものだと徂徠は言う。子思は中庸で至誠無息を説くためにこの詩を借りたにすぎず、宋儒はそれを天道の本体と読んでしまった。引用は文脈から切り離されると、元の意味とは違う重みを帯びる。徂徠が古文辞にこだわるのは、引用の連鎖で意味がずれていくのを防ぐためである。現代でも、名言や他社の事例を自分の主張の証拠に借りるとき、元の文脈で何を言っていたのかを確かめる手間を惜しんではならない。
この章句が説くこと
天命誠詩経子思引用宋儒
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『童子問』卷下問ふ、知命の説に於て、未だ釈然たること能はず。願はくは其の奥旨を発せよ。曰く、蓬も麻中に生ずれば、直からざること能はず。天道は正直にして、四旁上下、渾渾淪淪として、通徹して間無く、斯の理に非ざる莫し。火に近づけば則ち焦げ、水に近づけば則ち濡る。豈に不正不直を以て須臾も身を其の間に置くことを得んや。孔子曰く、君子は天命を畏る。小人は天命を知らずして畏れずと。其の之を畏るる者は、実に畏怖すべくして、慢るべからざるの理有るを以てなり。蓋し夫子五十にして天命を知り、以後初めて語を置くこと此くのごとし。一毫の聡明を作さず、一毫の智見を挟まず、至誠正直にして、内外表裏、打して一片と成り、而る後に以て自得すべし。聡明智見を以て之を得べきに非ざるなり。
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