呂氏春秋 / 驕恣⑤
趙簡子沈鸞徼於河,曰:「吾嘗好聲色矣,而鸞徼致之。吾嘗好宮室臺榭矣,而鸞徼為之。吾嘗好良馬善御矣,而鸞徼來之。今吾好士六年矣,而鸞徼未嘗進一人也,是長吾過而絀善也。」故若簡子者,能後以理督責於其臣矣。以理督責於其臣,則人主可與為善,而不可與為非;可與為直,而不可與為枉;此三代之盛教。
新字:趙簡子沈鸞徼於河,曰:「吾嘗好声色矣,而鸞徼致之。吾嘗好宮室台榭矣,而鸞徼為之。吾嘗好良馬善御矣,而鸞徼来之。今吾好士六年矣,而鸞徼未嘗進一人也,是長吾過而絀善也。」故若簡子者,能後以理督責於其臣矣。以理督責於其臣,則人主可与為善,而不可与為非;可与為直,而不可与為枉;此三代之盛教。
書き下し
趙簡子、鸞徼を河に沈めて曰く、「吾嘗て聲色を好めり。而して鸞徼之を致せり。吾嘗て宮室・臺榭を好めり。而して鸞徼之を為れり。吾嘗て良馬・善御を好めり。而して鸞徼之を來たせり。今、吾士を好むこと六年、而るに鸞徼未だ嘗て一人をも進めざるなり。是れ吾が過ちを長じて善を絀くるなり。」故に簡子が若き者は、能く後は理を以て其の臣を督責せり。理を以て其の臣を督責すれば、則ち人主與に善を為す可くして、與に非を為す可からず。與に直を為す可くして、與に枉を為す可からず。此れ三代の盛教なり。
現代語訳
趙簡子が鸞徼を河に沈めて言った、「私はかつて音楽や女色を好んだが、鸞徼はそれを調達した。私はかつて宮室や台榭を好んだが、鸞徼はそれを造った。私はかつて良馬や巧みな御者を好んだが、鸞徼はそれを連れてきた。今、私が士を好んで六年になるが、鸞徼はまだ一人も推薦したことがない。これは私の過ちを助長して善を退けるものだ」。だから簡子のような者は、後には道理によってその臣を叱責しただした。道理によって臣を叱責しただせば、君主とともに善をなすことはできても、ともに悪をなすことはできず、ともに正しいことはできても、ともに曲がったことはできない。これが三代の盛んな教えである。
解説
この章句が説くこと
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