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呂氏春秋 / 觀表①

凡論人心,觀事傳,不可不熟,不可不深。天為高矣,而日月星辰雲氣雨露未嘗休矣;地為大矣,而水泉草木毛羽裸鱗未嘗息也。凡居於天地之間、六合之內者,其務為相安利也,夫為相害危者,不可勝數。人事皆然。事隨心,心隨欲。欲無度者,其心無度;心無度者,則其所為不可知矣。人之心隱匿難見,淵深難測,故聖人於事志焉。聖人之所以過人以先知,先知必審徵表,無徵表而欲先知,堯、舜與眾人同等。徵雖易,表雖難,聖人則不可以飄矣,眾人則無道至焉。無道至則以為神,以為幸。非神非幸,其數不得不然。郈成子、吳起近之矣。

新字:凡論人心,観事伝,不可不熟,不可不深。天為高矣,而日月星辰雲気雨露未嘗休矣;地為大矣,而水泉草木毛羽裸鱗未嘗息也。凡居於天地之間、六合之內者,其務為相安利也,夫為相害危者,不可勝数。人事皆然。事随心,心随欲。欲無度者,其心無度;心無度者,則其所為不可知矣。人之心隠匿難見,淵深難測,故聖人於事志焉。聖人之所以過人以先知,先知必審徴表,無徴表而欲先知,堯、舜与眾人同等。徴雖易,表雖難,聖人則不可以飄矣,眾人則無道至焉。無道至則以為神,以為幸。非神非幸,其数不得不然。郈成子、吳起近之矣。

書き下し

凡そ人心を論じ、事傳を觀ることは、熟せざる可からず、深からざる可からず。天は高しと為す。而して日月星辰雲氣雨露、未だ嘗て休まざるなり。地は大と為す。而して水泉草木毛羽裸鱗、未だ嘗て息まざるなり。凡そ天地の間、六合の內に居る者、其の務めて相安利を為すや、夫の相害危を為す者、勝げて數う可からず。人事皆然り。事は心に隨い、心は欲に隨う。欲に度無き者は、其の心度無し。心に度無き者は、則ち其の為す所は知る可からず。人の心は隱匿して見難く、淵深にして測り難し。故に聖人は事に於て焉を知る。聖人の人に過ぐる所以は先知を以てなり。先知は必ず徴表を審らかにす。徴表無くして先知せんと欲すれば、堯・舜も衆人と等を同じくす。徴は易しと雖も、表は難しと雖も、聖人は則ち以て飄す可からずとす。衆人は則ち道無くして至るとす。道無くして至れば則ち以て神と為し、以て幸と為す。神に非ず幸に非ず。其の數然らざるを得ず。郈成子・吳起之に近し。

現代語訳

そもそも人の心を論じ、事の伝えを観察するには、熟慮しなければならず、深く見なければならない。天は高いが、日月星辰・雲気・雨露は休むことがない。地は大きいが、水泉・草木・鳥獣・魚類は止むことがない。そもそも天地の間、六合の内に居る者が、努めて互いに安んじ利し合おうとしても、互いに害し危うくする者は数えきれない。人事もみなそうだ。事は心に従い、心は欲に従う。欲に節度のない者は心に節度がなく、心に節度のない者は、その行うことが予測できない。人の心は隠れて見えにくく、深く測りがたい。だから聖人は事によってそれを知る。聖人が常人に勝る理由は先を知ることにある。先を知るには必ず徴(きざし)と表(あらわれ)を明らかにする。徴表がなくて先を知ろうとすれば、堯・舜でも常人と同じである。徴は見易く、表は見難いとはいえ、聖人はつむじ風のように偶然に起こるとは考えない。常人はよりどころなく至ると考える。よりどころなく至ると考えれば、神業とし、幸運とする。神でも幸でもなく、その理はそうならざるをえないのだ。郈成子と呉起はこれに近い。

解説

篇の総論で、人の心を徴表(きざしとあらわれ)から読み取る術を説きます。要点は、心は隠れて測りがたいが、事に現れる兆候を深く観察すれば先を知れる、それを欠けば堯舜でも常人と変わらないという点にあります。背景に、結果を神業や幸運で片づける常人と、必然の理として読み解く聖人の対比があります。予知は超能力でなく徴候の精読だという主張が核心です。わずかな兆しから将来を読むという洞察は、データや前兆から未来を予測する現代の分析・意思決定にも通じる、観察の重要性を語ります。

この章句が説くこと

観表徴表先知聖人観察人心

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