呂氏春秋 / 驕恣④
齊宣王為大室,大益百畝,堂上三百戶。以齊之大,具之三年而未能成。群臣莫敢諫王。春居問於宣王曰:「荊王釋先王之禮樂而樂為輕,敢問荊國為有主乎?」王曰:「為無主。」「賢臣以千數而莫敢諫,敢問荊國為有臣乎?」王曰:「為無臣。」「今王為大室,其大益百畝,堂上三百戶。以齊國之大,具之三年而弗能成。群臣莫敢諫,敢問王為有臣乎?」王曰:「為無臣。」春居曰:「臣請辟矣。」趨而出。王曰:「春子!春子反!何諫寡人之晚也?寡人請今止之。」遽召掌書曰:「書之:寡人不肖,而好為大室,春子止寡人。」箴諫不可不熟。莫敢諫若,非弗欲也。春居之所以欲之與人同,其所以入之與人異。宣王微春居,幾為天下笑矣。由是論之,失國之主,多如宣王,然患在乎無春居。故忠臣之諫者,亦從入之,不可不慎,此得失之本也。
新字:斉宣王為大室,大益百畝,堂上三百戸。以斉之大,具之三年而未能成。群臣莫敢諫王。春居問於宣王曰:「荊王釈先王之礼楽而楽為軽,敢問荊国為有主乎?」王曰:「為無主。」「賢臣以千数而莫敢諫,敢問荊国為有臣乎?」王曰:「為無臣。」「今王為大室,其大益百畝,堂上三百戸。以斉国之大,具之三年而弗能成。群臣莫敢諫,敢問王為有臣乎?」王曰:「為無臣。」春居曰:「臣請辟矣。」趨而出。王曰:「春子!春子反!何諫寡人之晩也?寡人請今止之。」遽召掌書曰:「書之:寡人不肖,而好為大室,春子止寡人。」箴諫不可不熟。莫敢諫若,非弗欲也。春居之所以欲之与人同,其所以入之与人異。宣王微春居,幾為天下笑矣。由是論之,失国之主,多如宣王,然患在乎無春居。故忠臣之諫者,亦従入之,不可不慎,此得失之本也。
書き下し
齊の宣王、大室を為る。大いさ百畝を益し、堂上に三百の戶あり。齊の大を以て之を具えて、三年にして未だ成すこと能わず。群臣敢て王を諫むるもの莫し。春居、宣王に問いて曰く、「荊王、先王の禮樂を釋てて、樂為に輕し。敢て問う、荊國、主有りと為すか。」王曰く、「主無しと為す。」「賢臣、千を以て數えて、敢て諫むるもの莫し。敢て問う、荊國、臣有りと為すか。」王曰く、「臣無しと為す。」「今王、大室を為り、其の大いさ百畝を益し、堂上に三百の戶あり。齊國の大を以て之を具えて、三年にして成すこと能わず。群臣敢て諫むるもの莫し。敢て問う、王臣有りと為すか。」王曰く、「臣無しと為す。」春居曰く、「臣請う、辟らん。」趨りて出づ。王曰く、「春子、春子、反れ、何ぞ寡人を諫むることの晩きや。寡人請う、今之を止めん。」遽に掌書を召して曰く、「之を書せよ、寡人不肖にして、好みて大室を為る。春子、寡人を止む、と。」箴諫は熟せざる可からず。敢て諫むる者莫きは、欲せざるに非ざるなり。春居の之を欲する所以は人と同じくして、其の之を入るる所以は人と異なる。宣王、春居微かりせば、幾んど天下の笑いと為りしならん。是に由りて之を論ずれば、國を失うの主は、多く宣王の如し。然して患いは春居無きに在り。故に忠臣の諫むる者も、亦た從って之を入るること、慎まざる可からず。此れ得失の本なり。
現代語訳
斉の宣王が大きな宮室を造った。広さは百畝を超え、堂上には三百の部屋があった。斉の大国をもってしても、三年かけて完成できなかった。群臣は誰も王を諫めなかった。春居が宣王に問うた、「楚王は先王の礼楽を捨てて、音楽を軽んじています。あえて問いますが、楚国には君主がいると言えますか」。王は「君主がいないと言える」と言った。「賢臣が千を数えるほどいて誰も諫めない。あえて問いますが、楚国に臣がいると言えますか」。王は「臣がいないと言える」と言った。「今、王は大室を造り、広さは百畝を超え堂上に三百室、斉の大国をもって三年かけても完成できない。群臣は誰も諫めない。あえて問いますが、王に臣がいると言えますか」。王は「臣がいないと言える」と言った。春居は「私は退出させていただきます」と言い、走り出た。王は「春子よ、春子、戻れ。なぜ私を諫めるのがこんなに遅かったのか。私は今これを止めよう」と言った。急いで記録係を召して言った、「これを書け。私は不肖にして大室を造るのを好んだ。春子が私を止めた、と」。諫めはよく熟慮すべきである。誰もあえて諫めなかったのは、諫めたくなかったからではない。春居が諫めたいと思ったのは人と同じだが、それを聞き入れさせるやり方が人と違った。宣王は春居がいなければ、危うく天下の笑い者になるところだった。これから論じれば、国を失う君主は宣王のような者が多い。しかし患いは春居のような者がいないことにある。だから忠臣が諫めるにも、それを聞き入れさせるやり方に従うべきで、慎まなければならない。これが得失の根本である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。

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