呂氏春秋 / 用民①
──凡用民,太上以義,其次以賞罰。其義則不足死,賞罰則不足去就,若是而能用其民者,古今無有。民無常用也,無常不用也,唯得其道為可。
書き下し
凡そ民を用うるに、太上は義を以てし、其の次は賞罰を以てす。其の義は則ち死するに足らず、賞罰は則ち去就に足らず、是くの若くにして、能く其の民を用うる者は、古今有ること無し。民は常に用うべきこと無く、常に用いざること無きなり。唯だ其の道を得れば可なりと為す。
現代語訳
およそ民を用いるには、最上は義によることで、その次が賞罰によることである。しかしその義が命を捨てさせるほどのものでなく、賞罰も進退を決めさせるほどのものでなければ、そのような状態で民をうまく使えた者は、古今を通じて一人もいない。民はいつでも使えるわけでも、いつでも使えないわけでもない。ただその道理を得てはじめて使えるのである。
解説
この段は用民篇の総論で、民を動かす手段には最上の「義」と次善の「賞罰」があると示します。要点は、義にせよ賞罰にせよ、命を賭けさせ進退を決めさせるほどの実質がなければ機能しない、という点です。背景には、形だけの理念や中途半端な賞罰では人は動かないという現実認識があり、民は本来使えるか否かが固定されておらず、正しい道理をつかめるかどうかが分かれ目だと論じます。現代の組織運営でも、掲げる価値や評価制度が本気で人の行動を左右する重みを持つかが、人を活かせるかの鍵になります。
この章句が説くこと
用民義賞罰統治の道動機づけ
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