呂氏春秋 / 上德④
墨者鉅子孟勝,善荊之陽城君。陽城君令守於國,毀璜以為符,約曰:「符合聽之」。荊王薨,群臣攻吳起,兵於喪所,陽城君與焉,荊罪之。陽城君走,荊收其國。孟勝曰:「受人之國,與之有符。今不見符,而力不能禁,不能死,不可。」其弟子徐弱諫孟勝曰:「死而有益陽城君,死之可矣。無益也,而絕墨者於世,不可。」孟勝曰:「不然。吾於陽城君也,非師則友也,非友則臣也。不死,自今以來,求嚴師必不於墨者矣,求賢友必不於墨者矣,求良臣必不於墨者矣。死之所以行墨者之義而繼其業者也。我將屬鉅子於宋之田襄子。田襄子賢者也,何患墨者之絕世也?」徐弱曰:「若夫子之言,弱請先死以除路。」還歿頭前於。孟勝因使二人傳鉅子於田襄子。孟勝死,弟子死之者百八十。三人以致令於田襄子,欲反死孟勝於荊,田襄子止之曰:「孟子已傳鉅子於我矣,當聽。」遂反死之。墨者以為不聽鉅子不察。嚴罰厚賞,不足以致此。今世之言治,多以嚴罰厚賞,此上世之若客也。
新字:墨者鉅子孟勝,善荊之陽城君。陽城君令守於国,毀璜以為符,約曰:「符合聴之」。荊王薨,群臣攻吳起,兵於喪所,陽城君与焉,荊罪之。陽城君走,荊収其国。孟勝曰:「受人之国,与之有符。今不見符,而力不能禁,不能死,不可。」其弟子徐弱諫孟勝曰:「死而有益陽城君,死之可矣。無益也,而絶墨者於世,不可。」孟勝曰:「不然。吾於陽城君也,非師則友也,非友則臣也。不死,自今以来,求厳師必不於墨者矣,求賢友必不於墨者矣,求良臣必不於墨者矣。死之所以行墨者之義而継其業者也。我将属鉅子於宋之田襄子。田襄子賢者也,何患墨者之絶世也?」徐弱曰:「若夫子之言,弱請先死以除路。」還歿頭前於。孟勝因使二人伝鉅子於田襄子。孟勝死,弟子死之者百八十。三人以致令於田襄子,欲反死孟勝於荊,田襄子止之曰:「孟子已伝鉅子於我矣,当聴。」遂反死之。墨者以為不聴鉅子不察。厳罰厚賞,不足以致此。今世之言治,多以厳罰厚賞,此上世之若客也。
書き下し
墨者の鉅子孟勝、荊の陽城君に善し。陽城君、國に守たらしむるや、璜を毀ちて以て符と為し、約して曰く、「符合わば之に聽け。」荊王薨じ、群臣、呉起を攻め、喪所に兵す。陽城君、焉に與る。荊、之を罪す。陽城君走る。荊其の國を収む。孟勝曰く、「人の國を受け、之と符有り。今符を見ず、而も力禁ずること能わず、死すること能わざるは、不可なり。」其の弟子徐弱、孟勝を諫めて曰く、「死して、陽城君に益有らば、之に死すとも可なり。益無くして、而も墨者を世に絶つは、不可なり。」孟勝曰く、「然らず。吾の陽城君に於けるや、師に非ざれば則ち友なり、友に非ざれば則ち臣なり。死せずんば、今自り以來、嚴師を求むるもの必ず墨者に於いてせず。賢友を求むるもの必ず墨者に於いてせず。良臣を求むるもの必ず墨者に於いてせず。之に死するは、墨者の義を行いて其の業を繼ぐ所以の者なり。我將に鉅子を宋の田襄子に屬せんとす。田襄子は賢者なり。何ぞ墨者の世に絕ゆるを患えんや。」徐弱曰く、「夫子の言の若くんば、弱請う先づ死して以て路を除わん。」還に頭を歿ねて孟勝に前だつ。因りて二人をして鉅子を田襄子に傳えしむ。孟勝死し、弟子之に死する者百八十。二人以て令を田襄子に致し、反りて孟勝に荊に死せんと欲す。田襄子、之を止めて曰く、「孟子已に鉅子を我に傳えたり。當に聽くべし。」遂に反りて之に死す。墨者以為えらく、聽かざるは、鉅子察せざればなり。嚴罰厚賞は、以て此を致すに足らざるなり。今の世の治を言うもの、多く嚴罰厚賞を以てす。此れ上世の若客なり。
現代語訳
墨家の鉅子(教団の長)孟勝は荊の陽城君と親しかった。陽城君は自分の領国の守りを孟勝に託すとき、玉の璜を割って割符とし、「割符が合えば命令に従え」と約束した。荊王が亡くなると群臣が呉起を攻め、喪の場所で兵を用いた。陽城君もこれに加わり、荊はこれを罪とした。陽城君は逃亡し、荊はその領国を没収した。孟勝は言った。「人の国を預かり割符まで交わした。いま割符も示されず、しかも守りきる力もない。それでも死なないのは許されない」。弟子の徐弱が諫めた。「死んで陽城君の益になるなら死んでもよいが、益もなく墨家を世に絶やすのは許されません」。孟勝は言った。「そうではない。私と陽城君の間柄は、師でなければ友、友でなければ君臣だ。ここで死ななければ、今後、厳しい師を求める者も、賢い友を求める者も、良い臣を求める者も、二度と墨家には求めなくなる。ここで死ぬことこそ墨家の義を行い、その事業を継ぐ道だ。私は鉅子の位を宋の田襄子に伝えよう。田襄子は賢者だ。墨家が絶えるのを憂える必要はない」。徐弱は「先生のお言葉ならば、私が先に死んで道を開きましょう」と言い、孟勝に先立って首をはねた。孟勝は二人に鉅子の位を田襄子へ伝えさせた。孟勝は死に、殉じた弟子は百八十人。二人は田襄子に命を伝えたが、引き返して荊で孟勝に殉じようとした。田襄子は「孟先生はすでに鉅子を私に伝えた。従うべきだ」と止めたが、二人は結局引き返して殉死した。墨家は、従わなかったのは鉅子の意を察しきれなかったからだと考えた。厳罰と厚賞では、このような献身は生み出せない。今の世で政治を論じる者は多く厳罰厚賞に頼るが、これは古の世の理想からはほど遠い。
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』二柄第七臣は官を越えて功有るを得ず、言を陳べて當らざるを得ず。官を越ゆれば則ち死し、當らざれば則ち罪せらる。
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孟子・離婁章句下逄蒙、射を羿に學ぶ。羿の道を盡くし、思えらく、天下惟だ羿のみ己に愈れりと為すと。是に於て羿を殺せり。孟子曰く、「是れ亦た羿も罪有り。」公明儀曰く、「宜ど罪無きが若し。」曰く、「薄しと云うのみ。惡んぞ罪無きを得ん。鄭人、子濯孺子をして衛を侵さしむ。衛、庾公之斯をして之を追わしむ。子濯孺子曰く、『今日、我が疾作り、以て弓を執る可からず。吾死なんかな。』其の僕に問いて曰く、『我を追う者は誰ぞや。』其の僕曰く、『庾公之斯なり。』曰く、『吾れ生きん。』其の僕曰く、『庾公之斯は、衛の射を善くする者なり。夫子曰く、吾れ生きんと。何の謂ぞや。』曰く、『庾公之斯は射を尹公之他に學ぶ。尹公之他は射を我に學ぶ。夫れ尹公之他は、端人なり。其の友を取ること必ず端ならん。』庾公之斯至りて曰く、『夫子何為れぞ弓を執らざる。』曰く、『今日、我疾作り、以て弓を執る可からず。』曰く、『小人は射を尹公之他に學び、尹公之他は射を夫子に學ぶ。我、夫子の道を以て、反って夫子を害するに忍びず。然りと雖も、今日の事は、君の事なり。我敢て廢せず。』矢を抽き輪に叩き,其の金を去り、乘矢を發して而る後に反れり。」