呂氏春秋 / 用民②
闔廬之用兵也不過三萬,吳起之用兵也不過五萬。萬乘之國,其為三萬五萬尚多。今外之則不可以拒敵,內之則不可以守國,其民非不可用也,不得所以用之也。不得所以用之,國雖大,勢雖便,卒無眾,何益?古者多有天下而亡者矣,其民不為用也。用民之論,不可不熟。
新字:闔廬之用兵也不過三万,吳起之用兵也不過五万。万乗之国,其為三万五万尚多。今外之則不可以拒敵,内之則不可以守国,其民非不可用也,不得所以用之也。不得所以用之,国雖大,勢雖便,卒無眾,何益?古者多有天下而亡者矣,其民不為用也。用民之論,不可不熟。
書き下し
闔廬の兵を用うるや、三萬に過ぎず、吳起の兵を用うるや、五萬に過ぎず。萬乘の國、其の三萬五萬為るや尚ほ多し。今、之を外にしては則ち以て敵を拒ぐ可からず、之を內にしては則ち以て國を守る可からざるは、其の民、用う可からざるに非ざるなり。之を用うる所以を得ざればなり。之を用うる所以を得ざれば、國大なりと雖も、勢便なりと雖も、卒衆しと雖も、何ぞ益せん。古者、天下を有ちて亡びし者多し。其の民の用を為さざればなり。民を用うるの論は、熟せざる可からず。
現代語訳
闔廬が兵を用いたときも三万を超えず、呉起が兵を用いたときも五万を超えなかった。万乗の大国にとって、三万や五万というのはむしろ多いくらいだ。ところが今、外に対しては敵を防げず、内に対しては国を守れないのは、その民が使えないからではない。使う方法を得ていないからである。使う方法を得なければ、国が大きくても、地勢が有利でも、兵が多くても、何の役に立とう。昔から天下を保ちながら滅んだ者は多い。その民が役に立たなかったからだ。民を用いる理論は、よくよく考え抜かねばならない。
解説
この段は、名将闔廬や呉起が少数の兵で大功を挙げた例を引き、要は兵数でなく用い方だと説きます。要点は、敵を防げず国を守れないのは民が無能だからではなく、動かす方法を心得ていないからだ、という診断です。背景には、大国が国土・地勢・兵力を持ちながら滅んだ歴史があり、量的優位は用い方を誤れば無意味だと論じます。現代でも、人員や資源が豊富でも、マネジメントを誤れば力を発揮できません。問題を人材の質のせいにせず、活かす仕組みや方法を問い直すべきだという教訓を与えてくれます。
この章句が説くこと
用民闔廬呉起少数精鋭マネジメント国力
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