韓非子 / 難二第三十七
齊桓公飲酒醉,遺其冠,恥之,三日不朝。管仲曰:「此有國之恥也,公胡其不雪之以政?」公曰:「胡其善!」因發倉囷賜貧窮,論囹圄出薄罪。處三日而民歌之曰:「公胡不復遺冠乎!」或曰:管仲雪桓公之恥於小人,而生桓公之恥於君子矣。使桓公發倉囷而賜貧窮,論囹圄而出薄罪,非義也,不可以雪恥;
新字:斉桓公飲酒酔,遺其冠,恥之,三日不朝。管仲曰:「此有国之恥也,公胡其不雪之以政?」公曰:「胡其善!」因発倉囷賜貧窮,論囹圄出薄罪。処三日而民歌之曰:「公胡不復遺冠乎!」或曰:管仲雪桓公之恥於小人,而生桓公之恥於君子矣。使桓公発倉囷而賜貧窮,論囹圄而出薄罪,非義也,不可以雪恥;
書き下し
斉の桓公酒を飲みて酔ひ、其の冠を遺る、之を恥ぢて、三日朝せず。管仲曰く、「此れ有国の恥なり、公胡ぞ其れ之を雪ぐに政を以てせざる」と。公曰く、「胡ぞ其れ善きや」と。因りて倉囷を発して貧窮に賜ひ、囹圄を論じて薄罪を出だす。処ること三日にして民之を歌ひて曰く、「公胡ぞ復た冠を遺れざる」と。或ひと曰く、管仲は桓公の恥を小人に雪ぎて、桓公の恥を君子に生ず。桓公をして倉囷を発して貧窮に賜ひ、囹圄を論じて薄罪を出ださしむるは、義に非ざるなり、以て恥を雪ぐ可からず。
現代語訳
斉の桓公が酒に酔って冠をなくし、それを恥じて三日間朝廷に出なかった。管仲が言った。「これは国を持つ者として恥ずかしいことです。公はなぜ政治によってその恥をすすがれないのですか」。桓公は「なんとよい考えだ」と言った。そこで米倉を開いて貧しい者に施し、牢獄の罪人を調べて軽い罪の者を釈放した。三日たつと、民は「公はどうしてもう一度冠をなくさないのか」と歌った。ある人が言う。管仲は桓公の恥を小人たちの間ではすすいだが、君子たちの間では桓公の恥を生んだ。桓公に米倉を開いて貧しい者に施させ、牢獄を調べて軽い罪の者を釈放させたのは、義ではない。それでは恥をすすぐことはできない。
解説
難二篇の二つ目の話です。斉の桓公が酔って冠をなくし、恥じて朝廷に出なかったとき、管仲は政治で恥をすすげと勧めます。桓公が米倉を開いて貧民に施し、軽罪の者を釈放すると、民は「もう一度冠をなくしてくれ」と歌いました。失敗を善政に転じた名宰相の機転として語られる話ですが、韓非は、これは小人の前で恥をすすぎ、君子の前で新たな恥を生んだと批判します。次の単位で、施しは功のない者への賞であり、釈放は罪を罰しないことであって、どちらも乱れの本だと続きます。不祥事のあとに大盤振る舞いや恩赦で世間の評判を取り戻そうとする手法は、今の企業や政治でも見かけるものですが、それが制度の筋を曲げていないかを問う視点を与えてくれます。
関連する章句
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『韓非子』難二第三十七之をして義ならしめば、桓公義を宿めて、冠を遺るるを須ちて而る後に之を行ふ、則ち是れ桓公の義を行ふは、冠を遺るるが爲に非ざらんや。是れ遺冠の恥を小人に雪ぐと雖も、亦た遺義の恥を君子に生ずるなり。
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『韓非子』難一第三十六郄子因りて曰く、「胡ぞ以て徇へざる」と。其の僕曰く、「曩には将に之を救はんとするにあらずや」と。郄子曰く、「吾敢て謗を分かたざらんや」と。或ひと曰く、郄子の言は、察せざる可からざるなり、謗を分かつに非ざるなり。韓子の斬る所や、若し罪人ならば、則ち救ふ可からず、罪人を救ふは、法の敗るる所以なり、法敗るれば則ち国乱る。若し罪人に非ざれば、則ち之に勧むるに徇ふるを以てす可からず、之に勧むるに徇ふるを以てするは、是れ不辜を重ぬるなり、不辜を重ぬるは、民の怨みを起こす所以の者なり、民怨めば則ち国危ふし。郄子の言は、危ふからざれば則ち乱る、察せざる可からざるなり。且つ韓子の斬る所若し罪人ならば、郄子奚ぞ分かたん。斬ること若し罪人に非ざれば、則ち已に之を斬れり、而して郄子乃ち至る、是れ韓子の謗已に成りて郄子且つ後れて至るなり。夫れ郄子の「以て徇へよ」と曰ふは、以て人を斬るの謗を分かつに足らずして、又徇ふるの謗を生ず。是れ子謗を分かつと言ふか。昔者紂炮烙を為る、崇侯・悪来又渉る者の脛を斬れと曰ふ、奚ぞ紂の謗を分かたん。且つ民の上に望むや甚だし、韓子得ざれば、且に郄子の之を得んことを望まんとす。今郄子俱に得ず、則ち民上に望みを絶たん。故に曰く、郄子の言は謗を分かつに非ず、謗を益すなり、と。且つ郄子の往きて罪を救ふや、韓子を以て非と為すなり。其の非と為す所以を道はずして、之に「以て徇へよ」と勧む、是れ韓子をして其の過を知らざらしむるなり。夫れ下は民をして望みを上に絶たしめ、又韓子をして其の失を知らざらしむ、吾未だ郄子の謗を分かつ所以の者を得ざるなり。桓公管仲の束縛を解きて之を相とす。管仲曰く、「臣寵有り、然り而して臣卑し」と。公曰く、「子をして高・国の上に立たしめん」と。管仲曰く、「臣貴し、然り而して臣貧し」と。公曰く、「子をして三帰の家を有たしめん」と。管仲曰く、「臣富めり、然り而して臣䟽し」と。是に於て立てて以て仲父と為す。
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『韓非子』難一第三十六将に天下を治めんとするに、庸主の易しとする所を釈てて、堯・舜の難しとする所を道ふは、未だ与に政を為す可からざるなり」と。管仲病有り、桓公往きて之を問ひて、曰く、「仲父病む、不幸にして大命に卒せば、将に奚を以て寡人に告げんとする」と。管仲曰く、「君の言微かりせば、臣故より将に之を謁せんとす。願はくは君竪刁を去り、易牙を除き、衛の公子開方を遠ざけよ。易牙は君の為に味を主る、君惟だ人肉のみ未だ嘗めず、易牙其の子の首を烝して之を進む。夫れ人情其の子を愛せざる莫し、今其の子を愛せず、安んぞ能く君を愛せん。君妬みて内を好む、竪刁自ら宮して以て内を治む。人情其の身を愛せざる莫し、身すら且つ愛せず、安んぞ能く君を愛せん。開方君に事ふること十五年、斉・衛の間は数日の行を容れず、其の母を弃て、久しく宦して帰らず、其の母すら愛せず、安んぞ能く君を愛せん。臣之を聞く、『矜偽は長からず、蓋虚は久しからず』と。願はくは君此の三子なる者を去れ」と。管仲卒に死す、桓公行はず。桓公死するに及び、蟲戸を出づるも葬られず。或ひと曰く、管仲の桓公に告ぐる所以の者は、度有る者の言に非ざるなり。竪刁・易牙を去る所以の者は、其の身を愛せずして、君の欲に適ふを以てなり。曰く、「其の身を愛せず、安んぞ能く君を愛せん」と。然らば則ち臣に死力を尽くして以て其の主の為にする者有らば、管仲将に用ひざらんとするなり。曰く、「其の死力を愛せず、安んぞ能く君を愛せん」と。是れ君をして忠臣を去らしめんと欲するなり。且つ其の身を愛せざるを以て其の君を愛せざるを度るは、是れ将に管仲の公子糾に死する能はざるを以て其の桓公に死せざるを度らんとするなり、是れ管仲も亦去る所の域に在り。明主の道は然らず、民の欲する所を設けて以て其の功を求む、故に爵禄を為りて以て之を勧む。民の悪む所を設けて以て其の姦を禁ず、故に刑罰を為りて以て之を威す。慶賞信にして刑罰必なり、故に君功を臣に挙げて姦上に用ひられず、竪刁有りと雖も、其れ君を奈何せん。
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『韓非子』難二第三十七且つ夫れ囷倉を発して貧窮に賜ふ者は、是れ功無きを賞するなり。囹圄を論じて薄罪を出だす者は、是れ過を誅せざるなり。夫れ功無きを賞すれば、則ち民偸幸して上に望む。過を誅せざれば、則ち民懲りずして非を為し易し。此れ乱の本なり、安んぞ以て恥を雪ぐ可けんや。昔者文王盂を侵し、莒に克ち、酆を挙ぐ、三たび事を挙げて紂之を悪む。文王乃ち懼れ、洛西の地、赤壌の国方千里を入れて、以て炮烙の刑を解かんことを請ふ。天下皆説ぶ。仲尼之を聞きて、曰く、「仁なるかな、文王。千里の国を軽んじて炮烙の刑を解かんことを請ふ。智なるかな、文王。千里の地を出だして天下の心を得たり」と。或ひと曰く、仲尼文王を以て智と為すは、亦過たずや。夫れ智なる者は、禍難の地を知りて之を辟くる者なり、是を以て身患に及ばざるなり。文王の紂に悪まるる所以の者をして、其の人心を得ざるを以てならしめば、則ち人心を索めて以て悪を解くと雖も可なり。
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『韓非子』內儲說上七術第三十過ち有るも罪せず、功無くして賞を受くれば、亡ぶと雖も、亦可ならずや」と。斉国厚葬を好み、布帛は衣衾に尽き、材木は棺椁に尽く。桓公之を患ひ、以て管仲に告げて曰く、「布帛尽くれば則ち以て蔽ひと為す無く、材木尽くれば則ち以て守備と為す無し。而るに人の厚葬すること休まず、之を禁ずること奈何」と。管仲対へて曰く、「凡そ人の為す有るや、之を名とするに非ざれば、則ち之を利とするなり」と。是に於て乃ち令を下して曰く、「棺椁度に過ぐる者は其の尸を戮し、夫の喪に当たる者を罪す」と。夫れ死を戮すれば名無く、喪に当たる者を罪すれば利無し。人何の故にか之を為さんや。衛の嗣君の時、胥靡有りて魏に逃れ、因りて襄王の后の為に病を治す。衛の嗣君之を聞き、人をして五十金を以て之を買はんことを請はしむ。五たび反るも魏王予へず、乃ち左氏を以て之に易へんとす。群臣左右諫めて曰く、「夫れ一都を以て胥靡を買ふは、可ならんや」と。王曰く、「子の知る所に非ざるなり。夫れ治に小無く、乱に大無し。法立たずして誅必ならずんば、十の左氏有りと雖も益無きなり。法立ちて誅必ならば、十の左氏を失ふと雖も害無きなり」と。魏王之を聞きて曰く、「主治めんと欲して之に聴かざるは、不祥なり」と。因りて載せて往き、徒だ之を献ず。三。斉王、文子に問ひて曰く、「国を治むること何如」と。対へて曰く、「夫れ賞罰の道為る、利器なり。君固く之を握り、以て人に示すべからず。臣の如き者の若きは、猶ほ獣鹿のごときなり、唯だ薦草にのみ就く」と。越王、大夫文種に問ひて曰く、「吾呉を伐たんと欲す、可ならんか」と。対へて曰く、「可なり。吾が賞は厚くして信、罰は厳にして必なり。君之を知らんと欲せば、何ぞ試みに宮室を焚かざる」と。是に於て遂に宮室を焚く。人之を救ふ莫し。乃ち令を下して曰く、「人の火を救ひて死する者は、死敵の賞に比し、火を救ひて死せざる者は、勝敵の賞に比し、火を救はざる者は、降北の罪に比す」と。人の其の体に塗り濡衣を被て火に走る者、左に三千人、右に三千人。此れ必勝の勢ひを知るなり。呉起、魏の武侯の為に西河の守と為る。秦に小亭有りて境に臨む。呉起之を攻めんと欲す。去らずんば、則ち甚だ田者を害す。之を去らんとすれば、則ち以て甲兵を徴するに足らず。
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『韓非子』難三第三十八桓公能く管仲の功を用いて、鉤を射るの怨みを忘る。文公能く寺人の言を聴きて、祛を斬るの罪を棄つ。... 是れ臣讎するに、而も明燭すこと能わず、多く之に資を假すに、自ら以て賢と為して戒めず。