呂氏春秋 / 當務①
辨而不當論,信而不當理,勇而不當義,法而不當務,惑而乘驥也,狂而操“吳干將”也,大亂天下者,必此四者也。所貴辨者,為其由所論也;所貴信者,為其遵所理也;所貴勇者,為其行義也;所貴法者,為其當務也。
新字:弁而不当論,信而不当理,勇而不当義,法而不当務,惑而乗驥也,狂而操“呉干将”也,大乱天下者,必此四者也。所貴弁者,為其由所論也;所貴信者,為其遵所理也;所貴勇者,為其行義也;所貴法者,為其当務也。
書き下し
辨なれども論に當らず、信なれども理に當らず、勇なれども義に當らず、法なれども務めに當らざるは、惑いて驥に乘るなり、狂いて呉の干將を操るなり。大いに天下を亂す者は、必ず此の四者なり。辨を貴ぶ所の者は、其の論ずる所に由らんが為なり。信を貴ぶ所の者は、其の理とする所に遵わんが為なり。勇を貴ぶ所の者は、其の義を行わんが為なり。法を貴ぶ所の者は、其の務めに當たらんが為なり。
現代語訳
弁が立っても正しい議論に合わず、信義があっても道理に合わず、勇があっても義に合わず、法があっても本来なすべき務めに合わないのは、迷った者が駿馬に乗るようなもの、狂った者が呉の名剣干将を振るうようなものです。大いに天下を乱すのは、必ずこの四者です。弁舌を尊ぶのは、それが正しい議論にかなうからです。信義を尊ぶのは、それが道理に従うからです。勇を尊ぶのは、それが義を行うからです。法を尊ぶのは、それが本来の務めにかなうからです。
解説
この段は「当務」篇の総論で、弁・信・勇・法という四つの徳目も、それぞれ本来かなうべき対象を外せば害になると説きます。要点は、迷った者が駿馬に乗り狂人が名剣を振るうように、正しい方向を欠いた能力はかえって天下を乱すということです。背景には、徳や才能を絶対視せず、それが正しい目的に「当たる」かどうかを問う実践的な思想があります。弁舌は正論のため、勇は義のためにあってこそ価値がある、という条件づけが鋭い点です。手段や能力を目的から切り離さず、常に何のためかを問う姿勢は、現代の意思決定や倫理判断にも通じる普遍的な教訓です。
この章句が説くこと
当務弁信勇法干将
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