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呂氏春秋 / 當務②

跖之徒問於跖曰:“盜有道乎?”跖曰:“奚啻其有道也?夫妄意關內,中藏,聖也;入先,勇也;出後,義也;知時,智也;分均,仁也。不通此五者,而能成大盜者,天下無有。”備說非六王、五伯,以為“堯有不慈之名,舜有不孝之行,禹有淫湎之意,湯、武有放殺之事,五伯有暴亂之謀。世皆譽之,人皆諱之,惑也”。故死而操金椎以葬,曰“下見六王、五伯,將穀其頭”矣。辨若此不如無辨。

新字:跖之徒問於跖曰:“盗有道乎?”跖曰:“奚啻其有道也?夫妄意関內,中蔵,聖也;入先,勇也;出後,義也;知時,智也;分均,仁也。不通此五者,而能成大盗者,天下無有。”備説非六王、五伯,以為“堯有不慈之名,舜有不孝之行,禹有淫湎之意,湯、武有放殺之事,五伯有暴乱之謀。世皆誉之,人皆諱之,惑也”。故死而操金椎以葬,曰“下見六王、五伯,将穀其頭”矣。辨若此不如無辨。

書き下し

跖の徒、跖に問いて曰く、「盜に道有りや。」跖曰く、「奚ぞ啻に其れ道無からんや。夫れ關の內を妄意して、藏を中つるは、聖なり。入るに先んずるは、勇なり。出づるに後るるは、義なり。時を知るは、智なり。分かつに均しきは、仁なり。此の五者に通ぜずして、能く大盜を成す者は、天下に有る無し。」備に説いて六王・五伯を非とし、以為らく、「堯に不慈の名有り、舜に不孝の行い有り、禹に淫湎の意有り、湯・武に放殺の事有り。五伯に暴亂の謀有り。世皆之を譽め、人皆之を諱むは、惑いなり。」故に死して金椎を操りて以て葬らる。曰く、「下、六王・五伯を見ば、將に其の頭を毃たんとす。」辨此くの若きは辨無きに如かず。

現代語訳

盗跖の手下が跖に問いました、「盗みにも道理はあるのですか」。跖は言いました、「どうして道理がないことがあろうか。そもそもかんぬきの内側を推し量り、蔵の中の財を言い当てるのは聖である。押し入るのに先頭に立つのは勇である。引き上げるのにしんがりを務めるのは義である。しくじりを避ける頃合いを知るのは智である。分け前を等しくするのは仁である。この五つに通じずに大盗になれた者は、天下にいない」。跖は詳しく論じて六王や五覇をそしり、こう考えました、「堯には慈しみのない汚名があり、舜には親不孝の行いがあり、禹には酒におぼれる心があり、湯王・武王には主君を追放し殺した事があり、五覇には暴虐と反乱のたくらみがあった。世の人がみなこれを褒め、人がみなその悪を言い隠すのは、迷いだ」。だから跖は死ぬとき金づちを手に持って葬られ、「あの世で六王・五覇に会ったら、その頭を打ち砕いてやる」と言いました。弁舌がこのようであるなら、弁舌などない方がましです。

解説

この段は大泥棒の盗跖の逸話で、弁舌が的を外した例を示します。要点は、跖が聖・勇・義・智・仁という徳目を盗みの技術に当てはめて正当化し、さらに聖王や覇者を悪だと論難する詭弁を弄したことです。背景には前段の総論、すなわち弁が正しい議論に「当たら」なければ害になるという主題があり、跖はまさにその悪しき見本です。徳の名を借りて悪事を美化する論法は巧みであるほど危険で、結びの「弁此くの若きは弁無きに如かず」がそれを断じます。巧言が道理と切り離されるとき、雄弁はむしろ社会を害するという警告は、現代の言論やレトリックにも通じます。

この章句が説くこと

盗跖詭弁五者六王五伯当務

この一句を、あなたの毎日に。

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