呂氏春秋 / 異寶②
五員亡,荊急求之,登太行而望鄭曰:“蓋是國也,地險而民多知,其主俗主也,不足與舉。”去鄭而之許,見許公而問所之。許公不應,東南嚮而唾。五員載拜受賜曰:“知所之矣。”因如吳。過於荊,至江上,欲涉,見一丈人,刺小船,方將漁,從而請焉。丈人度之,絕江,問其名族,則不肯告,解其劍以予丈人,曰:“此千金之劍也,願獻之丈人。”丈人不肯受曰:“荊國之法,得五員者,爵執圭,祿萬檐,金千鎰。昔者子胥過,吾猶不取,今我何以子之千金劍為乎?”五員過於吳,使人求之江上則不能得也,每食必祭之,祝曰:“江上之丈人!天地至大矣,至眾矣,將奚不有為也?而無以為。為矣而無以為之。名不可得而聞,身不可得而見,其惟江上之丈人乎?”
新字:五員亡,荊急求之,登太行而望鄭曰:“蓋是国也,地険而民多知,其主俗主也,不足与舉。”去鄭而之許,見許公而問所之。許公不応,東南嚮而唾。五員載拝受賜曰:“知所之矣。”因如呉。過於荊,至江上,欲渉,見一丈人,刺小船,方将漁,従而請焉。丈人度之,絶江,問其名族,則不肯告,解其剣以予丈人,曰:“此千金之剣也,願献之丈人。”丈人不肯受曰:“荊国之法,得五員者,爵執圭,禄万檐,金千鎰。昔者子胥過,吾猶不取,今我何以子之千金剣為乎?”五員過於呉,使人求之江上則不能得也,毎食必祭之,祝曰:“江上之丈人!天地至大矣,至衆矣,将奚不有為也?而無以為。為矣而無以為之。名不可得而聞,身不可得而見,其惟江上之丈人乎?”
書き下し
五員亡ぐ。荊急に之を求む。太行に登りて鄭を望みて曰く、「蓋し是の國や、地は險にして民は知多く、其の主は俗主なり。與に舉るに足らず。」鄭を去りて許に之き、許公に見えて之く所を問う。許公應えず、東南に嚮きて唾す。五員載ち拜して賜を受けて曰く、「之く所を知る。」因りて呉に如かんとして、荊を過りて、江上に至る。渉らんと欲するに、一丈人の小船を刺し、方に將に漁せんとするを見る。從わんとして請う。丈人之を度して、江を絶る。其の名族を問えば、則ち肯て告げず。其の劍を解きて以て丈人に予えて曰く、「此れ千金の劍なり。願わくは之を丈人に獻ぜん。」丈人肯て受けずして曰く、「荊國の法、五員を得たる者は、爵は執圭、祿は萬檐、金は千鎰なり。昔者子胥の過ぎるも、吾猶ほ取らず。今我何ぞ子の千金の劍を以て為さんや。」五員呉に過る。人をして之を江上に求めしむれば、則ち得る能わざるなり。食毎に必ず之を祭り、祝して曰く、「江上の丈人や、天地は至大なり、至衆なり。將て奚ぞ為す有らざらん。而れども以て為す無し。為せども以て之を為す無し。名の得て聞く可からず、身の得て見る可からず。其れ惟だ江上の丈人のみか。」
現代語訳
伍員(伍子胥)が亡命し、楚が急いで彼を追い求めた。伍員は太行山に登って鄭を望んで言った、「思うにこの国は、地は険しく民は知恵が多いが、その君主は凡庸な君主だ。ともに大事を謀るには足りない」と。鄭を去って許へ行き、許公に会って行き先を尋ねた。許公は答えず、東南に向かって唾を吐いた。伍員はすぐに拝礼して教えを受け、「行くべき所が分かった」と言った。そこで呉へ向かおうとして、楚を通り、川のほとりに至った。渡ろうとして、一人の老人が小舟に棹さして今にも漁をしようとしているのを見た。頼んで渡してもらおうとした。老人は彼を渡し、川を越えさせた。その姓名を尋ねても、老人は答えようとしない。伍員は自分の剣を外して老人に与え、「これは千金の剣です。どうかこれを差し上げたい」と言った。老人は受けようとせず言った、「楚の国法では、伍員を捕えた者は、爵は執圭、禄は万石、金は千鎰を賜る。先ほど伍子胥が通ったときでさえ、私は取らなかった。今どうしてあなたの千金の剣など受け取ろうか」と。伍員は呉に至った。人をやって川のほとりでその老人を探させたが、見つけられなかった。食事のたびに必ず老人を祭り、祈って言った、「川のほとりの老人よ。天地はこの上なく大きく、この上なく多くのものを含む。何であれ、なそうと思えばなせよう。それなのに見返りに何も求めなかった。恩を施しても、それを見返りにしなかった。名も聞くことができず、姿も見ることができない。それはただあの川のほとりの老人だけであろうか」と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』僖公元年 師に私無し元年春、即位を稱せざるは、公出づるが故なり。公出でて復た入るを書せざるは、之を諱むなり。國の惡を諱むは、禮なり。諸侯邢を救ふ。邢人潰え、出でて師に奔る。師遂に狄人を逐ひ、邢の器用を具へて之を遷す。師私無し。夏、邢夷儀に遷る。諸侯之に城くは、患ひを救ふなり。凡そ侯伯、患ひを救ひ、災ひを分かち、罪を討つは、禮なり。秋、楚人鄭を伐つ、鄭齊に即くが故なり。犖に盟ふ、鄭を救はんことを謀るなり。九月、公邾の師を偃に敗る。虛丘の戍の將に歸らんとする者なり。冬、莒人來たりて賂を求む。公子友諸を酈に敗り、莒子の弟拏を獲。卿に非ざるなり、獲たるを嘉するなり。公季友に汶陽の田、及び費を賜ふ。夫人氏の喪齊より至る。君子以へらく、齊人の哀姜を殺すや、已甚しと爲すと。女子は人に從ふ者なり。
-
『墨子』兼愛下泰誓に曰く、「文王は日の若く月の若く乍ち照らし、四方に光り、西土に于てす」と。即ち此れ文王の天下を兼愛するの博大なるを言うなり。之を譬うるに日月の兼ねて天下を照らして私有ること無きがごとし。即ち此れ文王の兼なり。子墨子の謂う所の兼なる者と雖も、文王に於て法を取れり。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「堯・舜は性のままなる者なり。湯・武は之に反るなり。動容周旋、禮に中る者は、盛德の至りなり。死を哭して哀しむは、生者の為に非ざるなり。經德回ならざるは、以て禄を干むるに非ざるなり。言語必ず信なるは、以て行いを正すに非ざるなり。君子は法を行いて、以て命を俟つのみ。」
-
説苑・貴德楚王荘辛に問ひて曰く、「君子の行ひは奈何」と。荘辛対へて曰く、「居るに垣牆を為さざるも、人能く毀傷すること莫し。行くに周衛に従はざるも、人能く君を暴すること莫し。此れ君子の行ひなり」と。楚王復た君子の富は奈何と問ふ。対へて曰く、「君子の富は、人に貸すも徳とせず、責めざるなり。其の飲食を人に食はしむるも使はず、役せざるなり。親戚之を愛し、衆人之を喜び、不肖なる者すら之に事ふ。皆其の寿楽にして患に傷まざらんことを欲す。此れ君子の富なり」と。楚王善しと曰ふ。
-
『太上感応篇』善行・恩を施して報いを求めず辱を受くるも怨みず、寵を受くるも驚くが若し。恩を施して報いを求めず、人に与へて追ひて悔いず。
-
『関聖帝君覚世真経』第四段・吾れ本と私無し、惟だ善人を佑く万禍雪のごとく消え、千祥雲のごとく集まらん。諸ろ此くの如き福は、惟だ善のみ致すべし。吾れ本と私無し、惟だ善人を佑く。衆善奉行せよ、厥の志を怠ること毋かれ。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る