呂氏春秋 / 異寶③
宋之野人,耕而得玉,獻之司城子罕,子罕不受。野人請曰:“此野人之寶也,願相國為之賜而受之也。”子罕曰:“子以玉為寶,我以不受為寶。”故宋國之長者曰:“子罕非無寶也,所寶者異也。”
新字:宋之野人,耕而得玉,献之司城子罕,子罕不受。野人請曰:“此野人之宝也,願相国為之賜而受之也。”子罕曰:“子以玉為宝,我以不受為宝。”故宋国之長者曰:“子罕非無宝也,所宝者異也。”
書き下し
宋の野人、耕して玉を得たり。之を司城子罕に獻ずるも、子罕受けず。野人請いて曰く、「此れ野人の寶なり。願わくは相國之が賜と為して之を受けよ。」子罕曰く、「子、玉を以て寶と為し、我、受けざるを以て寶と為す。」故に宋國の長者曰く、「子罕は寶無きに非ず。寶とする者異なるなり。」
現代語訳
宋の農夫が、耕していて玉を掘り当てた。これを司城の子罕に献上したが、子罕は受け取らなかった。農夫は願って言った、「これは私の宝です。どうか相国(子罕)よ、これを恵みと思って受け取ってください」と。子罕は言った、「あなたは玉を宝とし、私は受け取らないことを宝とする」と。だから宋国の年長者は言った、「子罕は宝がないのではない。宝とするものが人と異なるのだ」と。
解説
宋の名臣子罕が、農夫の献じた玉を「私は受け取らぬことを宝とする」と言って退けた故事です。財貨としての玉ではなく、清廉さ・不貪の心こそ自分の宝だとする価値観を示し、異寶篇の主題を端的に象徴します。農夫と子罕が互いに異なるものを宝とする対比を通して、宝の価値は物そのものでなく、その人が何を尊ぶかによって決まると説きます。現代でも、地位ある者が賄賂や便宜を退ける廉潔さは、金銭に勝る信頼という無形の資産を守る姿勢として通じ、公職者の倫理を考える古典的な範例となっています。
この章句が説くこと
子罕宋不貪廉潔異宝司城
関連する章句
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『臣軌』卷下 廉潔章宋人、或るひと玉を得て、これを司城子罕に献ず。子罕受けず。玉を献ずる者曰く、「以て玉人に示すに、玉人以て宝と為す。故に敢えてこれを献ず」と。子罕曰く、「我は不貪を以て宝と為し、爾は玉を以て宝と為す。もし以て我に与えば、皆な宝を喪うなり。人おのおのその宝を有つに若かず」と。
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説苑・尊賢宋の司城子罕の子韋を貴ぶや、入りては与に食を共にし、出でては与に衣を同じくす。司城子罕亡ぐるに、子韋従わず。子罕来たるに、復た子韋を召して之を貴ぶ。左右曰く、「君の子韋を善くするや、君亡げて従わず、来たれば又復た之を貴ぶ、君独り君の忠臣に愧じざるか」と。子罕曰く、「吾唯だ子韋を用いる能わざりしが故に、亡ぐるに至れり。今吾の復するを得るは、尚お是れ子韋の遺徳余教なり、吾故に之を貴ぶ。且つ我の亡ぐるや、吾が臣の跡を削り樹を抜きて以て我に従いし者、奚ぞ吾が亡ぐるに益あらんや」と。
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呂氏春秋・異寶④今百金と摶黍とを以て、以て兒子に示さば、兒子必ず摶黍を取らん。龢氏の璧と百金とを以て、以て鄙人に示さば、鄙人必ず百金を取らん。龢氏の璧と道德の至言とを以て、以て賢者に示さば、賢者必ず至言を取らん。其の知彌々精しければ、其の取る所彌々精しく、其の知彌々觕ければ、其の取る所彌々觕し。
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呂氏春秋・異寶①古の人、寶無きに非ざるなり。其の寶とする所の者異なるなり。孫叔敖疾みて、將に死せんとして、其の子に戒めて曰く、「王數々我を封ぜんとするも、吾受けざるなり。我死せば、王は則ち汝を封ぜん。必ず利地を受くること無かれ。楚・越の間に寢の丘なる者有り。此れ其の地利ならず、而して名甚だ惡し。荊人は鬼を畏れ、而して越人は禨を信ず。長く有つ可き者は、其れ唯だ此れのみなり。」孫叔敖死するや、王果して美地を以て其の子を封ぜんとすれども、子辭して、寢の丘を請う。故に今に至るまで失わず。孫叔敖の知は、利を以て利と為さざるを知り、人の惡む所を以て己の喜ぶ所と為すを知る。此れ道有る者の俗に異なる所以なり。
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呂氏春秋・召類④士尹池、荊の為に宋に使いす。司城子罕之を觴す。南家の牆、前に犨でて直ならず。西家の潦、其の宮を徑て止まず。士尹池、其の故を問う。司城子罕曰く、「南家は工人なり。鞔を為る者なり。吾將に之を徙さんとす。其の父曰く、『吾鞔を為るを恃みて以て食らうこと三世なり。今之を徙さば、是れ宋國の鞔を求むる者、吾が處を知らざるなり。吾將に食らわざらんとす。願わくは相國の吾が食らわざるを憂えんことを。』是の故の為に、吾徙さざるなり。西家は高く、吾が宮は庳し。潦の吾が宮を經るや利なり。故に禁ぜざるなり。」士尹池、荊に歸る。荊王適々兵を興こして宋を攻めんとす。士尹池、荊王を諫めて曰く、「宋は攻む可からざるなり。其の主は賢にして、其の相は仁なり。賢者は能く民を得、仁者は能く人を用う。荊國之を攻むれば、其れ功無くして天下の笑いと為らん。」故に宋を釋てて鄭を攻む。孔子之を聞きて曰く、「夫れ之を廟堂の上に脩めて、衝を千里の外に折くとは、其れ司城子罕の謂か。」宋は三大萬乘の間に在り。子罕の時、相侵す所無く、邊境四に益し、平公・元公・景公に相として以て其の身を終ゆるは、其れ唯だ仁にして且つ節なればなるか。故に仁節の功為るや大なり。故に明堂は茅茨蒿柱、土階は三等にして、以て節儉を見わす。
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尚書・呂刑獄貨は寶に非ず。