論衡 / 『論衡』解除篇第七十五・禍福は鬼でなく徳にある
中行子乃慚。今世信祭祀、中行子之類也。不修其行而丰其祝、不敬其上而畏其鬼。身死禍至、歸之於祟、謂祟未得;得祟修祀、禍繁不止、歸之於祭、謂祭未敬。夫論解除、解除無益;論祭祀、祭祀無補;論巫祝、巫祝無力。竟在人不在鬼、在德不在祀、明矣哉!
新字:中行子乃慚。今世信祭祀、中行子之類也。不修其行而丰其祝、不敬其上而畏其鬼。身死禍至、帰之於祟、謂祟未得;得祟修祀、禍繁不止、帰之於祭、謂祭未敬。夫論解除、解除無益;論祭祀、祭祀無補;論巫祝、巫祝無力。竟在人不在鬼、在徳不在祀、明矣哉!
書き下し
中行子、乃ち慚ず。今の世の祭祀を信ずるは、中行子の類なり。其の行いを修めずして其の祝を豊かにし、其の上を敬せずして其の鬼を畏る。身死し禍至れば、之を祟りに帰して、祟りの未だ得ざるを謂う。祟りを得て祀りを修むれども、禍繁くして止まざれば、之を祭りに帰して、祭りの未だ敬ならざるを謂う。夫れ解除を論ずれば、解除は益なく、祭祀を論ずれば、祭祀は補い無く、巫祝を論ずれば、巫祝は力なし。竟に人に在りて鬼に在らず、徳に在りて祀に在らざること、明らかなるかな。
現代語訳
中行子はそこで恥じ入りました。今の世で祭祀を信じる者は、この中行子の仲間です。自分の行いを修めずに祈祷ばかり手厚くし、上に立つ者を敬わずに鬼を畏れます。身が死に禍が至れば、祟りのせいにして、祟りの原因をまだ突き止めていないと言い、祟りを見つけて祭りを修めても、禍が重なって止まなければ、祭りのせいにして、祭りの敬いがまだ足りなかったと言います。そもそも、お祓いを論じればお祓いには益がなく、祭祀を論じれば祭祀は役に立たず、巫祝を論じれば巫祝には力がありません。結局、すべては人にあって鬼にはなく、徳にあって祀りにはないことは、明らかなことです。
解説

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