晏子春秋 / 諫上・景公欲使楚巫致五帝以明德晏子諫
楚巫微道裔款以見景公,侍坐三日,景公說之。楚巫曰:「公,神明之主,帝王之君也。公即位十有七年矣,事未大濟者,神明未至也,請致五帝,以明君德。」景公再拜稽首。楚巫曰:「請巡國郊以觀帝位。」至於牛山而不敢登,曰:「五帝之位,在於國南,請齋而後登之。」公命百官供齋具于楚巫之所,裔款視事。晏子聞之而見於公曰:「公令楚巫齋牛山乎?」公曰:「然。致五帝以明寡人之德,神將降福於寡人,其有所濟乎?」晏子曰:「君之言過矣,古之王者,德厚足以安世,行廣足以容眾,諸侯戴之,以為君長;百姓歸之,以為父母。是故天地四時和而不失,星辰日月順而不亂。德厚行廣,配天象時,然後為帝王之君,神明之主。古者不慢行而繁祭,不輕身而恃巫。今政亂而行僻,而求五帝之明德也?
新字:楚巫微道裔款以見景公,侍坐三日,景公説之。楚巫曰:「公,神明之主,帝王之君也。公即位十有七年矣,事未大済者,神明未至也,請致五帝,以明君徳。」景公再拝稽首。楚巫曰:「請巡国郊以観帝位。」至於牛山而不敢登,曰:「五帝之位,在於国南,請斎而後登之。」公命百官供斎具于楚巫之所,裔款視事。晏子聞之而見於公曰:「公令楚巫斎牛山乎?」公曰:「然。致五帝以明寡人之徳,神将降福於寡人,其有所済乎?」晏子曰:「君之言過矣,古之王者,徳厚足以安世,行広足以容衆,諸侯戴之,以為君長;百姓帰之,以為父母。是故天地四時和而不失,星辰日月順而不乱。徳厚行広,配天象時,然後為帝王之君,神明之主。古者不慢行而繁祭,不軽身而恃巫。今政乱而行僻,而求五帝之明徳也?
書き下し
楚の巫微、道を裔款に以て景公に見ゆ。侍坐すること三日、景公之を説ぶ。楚巫曰く、「公は神明の主、帝王の君なり。公位に即きて十有七年、事の未だ大いに済らざるは、神明の未だ至らざるなり。請う五帝を致して、以て君の徳を明らかにせん」と。景公再拝稽首す。楚巫曰く、「請う国郊を巡りて以て帝位を観ん」と。牛山に至りて敢えて登らず、曰く、「五帝の位は、国の南に在り、請う斎して後に之に登らん」と。公百官に命じ斎具を楚巫の所に供せしめ、裔款は事を視る。晏子之を聞きて公に見えて曰く、「公は楚巫をして牛山に斎せしむるか」と。公曰く、「然り。五帝を致して以て寡人の徳を明らかにせば、神は将に福を寡人に降し、其れ済る所有らんか」と。晏子曰く、「君の言過てり。古の王者は、徳厚くして以て世を安んずるに足り、行い広くして以て衆を容るるに足り、諸侯之を戴きて以て君長と為し、百姓之に帰して以て父母と為す。是の故に天地四時和して失わず、星辰日月順いて乱れず。徳厚く行い広く、天に配し時に象り、然る後に帝王の君、神明の主たり。古は行いを慢にして祭りを繁くせず、身を軽んじて巫を恃まず。今、政乱れて行い僻なるに、五帝の明徳を求めんや。
現代語訳
楚の巫の微は、裔款の道をもって景公に会いました。三日間そばに控えて座り、景公は彼を気に入りました。楚の巫は言いました。「公は神明の主、帝王の君です。公が位に即かれて十七年、事が大いに成らないのは、神明がまだ至っていないからです。どうか五帝を招いて、君の徳を明らかにさせてください。」景公は再拝して額を地につけました。楚の巫は言いました。「国の郊外を巡って帝の座を見たいのです。」牛山に着くと登ろうとせず、言いました。「五帝の座は、国の南にあります。斎戒してから登らせてください。」公は百官に命じて斎戒の道具を楚の巫の所に供えさせ、裔款は事を執りました。晏子はこれを聞いて公に会い、言いました。「公は楚の巫に牛山で斎戒させておられるのですか。」公は言いました。「そうだ。五帝を招いて私の徳を明らかにすれば、神は私に福を降し、事が成るのではないか。」晏子は言いました。「君のお言葉は誤りです。古の王者は、徳が厚くて世を安んじるに足り、行いが広くて大勢を受け入れるに足り、諸侯が戴いて君長とし、百姓が帰して父母としました。だから天地と四季は調和して失われず、星辰と日月は順に従って乱れませんでした。徳が厚く行いが広く、天に配し時に象り、そうして初めて帝王の君、神明の主となるのです。古は行いを怠らず祭りを繁くせず、身を軽んじず巫に頼りませんでした。今、政は乱れ行いは偏っているのに、五帝の明らかな徳を求めるのですか。
解説
この章句が説くこと
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史記 夏本紀湯徳を修め、諸侯皆湯に帰す。湯遂に兵を率ゐて以て夏桀を伐つ。桀鳴条に走り、遂に放たれて死す。桀人に謂ひて曰く、「吾湯を夏台に遂に殺さずして、此に至らしめしを悔ゆ」と。湯乃ち天子の位を践み、夏に代はりて天下を朝せしむ。湯夏の後を封じ、周に至りて杞に封ずるなり。太史公曰く、禹は姒姓為り。其の後分封せられ、国を用て姓と為す。故に夏后氏・有扈氏・有男氏・斟尋氏・彤城氏・襃氏・費氏・杞氏・繒氏・辛氏・冥氏有り。孔子夏の時を正し、学者多く伝ふと云ふ。虞・夏の時より、貢賦備はれり。或いは言ふ、禹諸侯を江南に会し、功を計りて崩じ、因りて焉に葬る、命じて会稽と曰ふ。会稽とは、会計なり。
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尚書・高宗肜日高宗肜(ゆう)の日、越(ここ)に雊(な)く雉有り。祖己曰く、「惟れ先づ王を格(ただ)し、厥の事を正さん。」乃ち王に訓へて曰く、「惟れ天下民を監み、厥の義を典とす。年を降すに永き有り永からざる有り。天民を夭するに非ず、民中ごろに命を絶つなり。民徳に若(したが)はず、罪を聴(ゆる)さざる有れば、天既に命を孚(しめ)して厥の徳を正さしむるに、乃ち曰く、『其れ台(われ)を如何せん』と。嗚呼(ああ)、王は民を敬するを司る。天の胤に非ざる罔し、典祀昵(ちか)きに豊かなること無かれ。」
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『春秋左氏伝』襄公九年 穆姜、四徳を説く夏、季武子晉に如く。宣子の聘に報ゆるなり。穆姜、東宮に薨ず。始め往きて之を筮し、艮の八に遇ふ。史曰く、「是れ艮の隨に之くと謂ふ。隨は其れ出づるなり。君必ず速やかに出でん」と。姜曰く、「亡(な)し。是れ周易に於て、曰く、『隨は元亨利貞、咎無し』と。元は體の長なり。亨は嘉の會なり。利は義の和なり。貞は事の幹なり。仁を體すれば以て人に長たるに足り、德を嘉すれば以て禮に合するに足り、物を利すれば以て義を和するに足り、貞固なれば以て事を幹するに足る。然り、故に誣ふべからざるなり。是を以て隨と雖も咎無し。今、我は婦人にして亂に與る。固より下位に在りて、不仁有り。元と謂ふべからず。國家を靖んぜず、亨と謂ふべからず。作して身を害す、利と謂ふべからず。位を棄てて姣(みだ)る、貞と謂ふべからず。四德有る者は、隨にして咎無し。我は皆之無し、豈に隨ならんや。我は則ち惡を取る、能く咎無からんや。必ず此に死せん、出づるを得ざらん」と。
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『春秋左氏伝』昭公二十年 祝史を誅せんとす齊侯疥(かい)し、遂に痁(せん)す。期にして瘳えず。諸侯の賓疾を問ふ者多く在り。梁丘據と裔款と公に言ひて曰く、「吾鬼神に事ふること豐かにして、先君に於いて加ふること有り。今君疾病して、諸侯の憂ひと為る。是れ祝史の罪なり。諸侯知らず、其れ我を不敬と謂はん。君盍ぞ祝固・史嚚を誅して、以て賓に辭せざる」と。公說び、晏子に告ぐ。晏子曰く、「日(さき)に宋の盟に、屈建范會の德を趙武に問ふ。趙武曰く、『夫子の家事治まり、晉國に言ひて、情を竭くして私無し。其の祝史祭祀して、信を陳べて愧ぢず。其の家事猜無く、其の祝史祈らず』と。建以て康王に語る。康王曰く、『神人怨無し。宜なるかな夫子の光(おほ)いに五君を輔けて、以て諸侯の主と為すこと』と」と。公曰く、「據と款と、寡人能く鬼神に事ふと謂ふ。故に祝史を誅せんと欲す。子是の語を稱するは、何の故ぞ」と。對へて曰く、「若し有德の君ならば、
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『山鹿語類』士道・詳器物之用次に宝器之用あり。凡そ世に宝と号する器は、徳を天地に比して、気節度量温潤風流ともにそなはり、人々是を以て自省み自たゞしつべきの器あるときは、初めて宝器と可号也。人是を全くする時は聖人と号し、鳥獣に此粧あれば鳳凰麒麟と号す。器にこれある時は瑞玉宝器と号す。上古より万世まで、ともに是を崇敬す。人々是を以て準則としつべければ也。然れども宝器幷に麟鳳の類は世の名物也と云へるも、唯其徳の温潤風度を云ふ也。聖人に於ては天地の徳にかくる所なく、徳こゝに正しく、知こゝにあまねく、勇こゝに卓爾たり。故に数千歳の間世に出ること希有にして、宝玉は世々に乏しからざるゆゑん也。而して是に次では世をあまねく利して、人の用をたらしむるものを以て宝とすなれば、木火土金水の生々して米穀衣服草木魚鳥塩菜を生じ、器物名劒を出さしむ。皆是天下の宝にして、一日もなくんばあるべからず。而して是を交易せしむるに金銀銅銭の利あつて、有無互にかへて是を利す。こゝにおいて初めて財を以て宝とするの説あり。
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『太上感応篇』善行・是れ道なれば則ち進み、非道なれば則ち退く是れ道なれば則ち進み、道に非ざれば則ち退く。邪径を履まず、暗室を欺かず。徳を積み功を累ね、物に慈心あり。忠孝友悌、己を正して人を化す。
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