論衡 / 『論衡』恢國篇第五十八・危機でこそ人の真価が出る
谷登歲平、庸主因緣以建德政、顛沛危殆、聖哲優者、乃立功化。是故微病恆醫皆巧、篤劇扁鵲乃良。建初孟年、無妄氣至、歲之疾疫也。
新字:谷登歳平、庸主因縁以建徳政、顛沛危殆、聖哲優者、乃立功化。是故微病恒医皆巧、篤劇扁鵲乃良。建初孟年、無妄気至、歳之疾疫也。
書き下し
谷登り歳平らかなれば、庸主も因縁して以て徳政を建つ。顛沛危殆なれば、聖哲の優れたる者、乃ち功化を立つ。是の故に微病には恒医も皆巧みなれど、篤劇には扁鵲乃ち良し。建初の孟年、無妄の気至る、歳の疾疫なり。
現代語訳
穀物が実り年が平穏であれば、凡庸な君主でも成り行きに乗って良い政治を行えます。ところが世が傾き危うくなると、すぐれた聖哲だけが功績と教化を打ち立てます。ですから、軽い病なら並の医者でも皆うまく治しますが、重い病になって初めて扁鵲のような名医が頼りになるのです。建初の初めの年には、思いがけない災いの気が訪れました。それは年の疫病でした。
解説
太平の世なら誰が治めても整う、危機のときにこそ真価が問われる、と王充は言います。ここは漢の君主の手腕を称える文脈ですが、医者のたとえはそのまま職場にも当てはまります。『論衡』は後漢の王充が俗説を批判した書で、結果や事実で人を見る姿勢が通っています。業績が好調なときは管理職の優劣が見えにくく、人員不足や不祥事の場面で初めて差が出ます。平時の成績だけで人を評価していないか。難局でどう動いたかを見るという、人材の見方を教えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
庸主聖哲顛沛危殆扁鵲危機真価
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