論衡 / 『論衡』恢國篇第五十八・起点の高さと創業の難しさ
丘由易以起高、淵易以為深。起於微賤、無所因階者難;襲爵乘位、尊祖統業者易。堯以唐侯入嗣帝位、舜以司徒因堯授禪、禹以司空緣功代舜、湯由七十里、文王百里〔為西伯〕、武王(為西伯)襲文王位(三郊)。五代之起、皆有因緣、力易為也。
新字:丘由易以起高、淵易以為深。起於微賤、無所因階者難;襲爵乗位、尊祖統業者易。堯以唐侯入嗣帝位、舜以司徒因堯授禅、禹以司空縁功代舜、湯由七十里、文王百里〔為西伯〕、武王(為西伯)襲文王位(三郊)。五代之起、皆有因縁、力易為也。
書き下し
丘は由りて起こし易く、淵は由りて深くし易し。微賤より起こり、因る所の階無き者は難く、爵を襲い位に乗り、祖を尊び業を統ぶる者は易し。堯は唐侯を以て帝位に入り嗣ぎ、舜は司徒を以て堯に因りて禅を授かり、禹は司空を以て功に縁りて舜に代わる。湯は七十里より、文王は百里にして西伯と為り、武王は文王の位を襲う。五代の起こるは、皆因縁有り、力は為し易し。
現代語訳
丘は、もともとある地面に土を積むから高くしやすく、淵は、もともとある窪みを掘るから深くしやすいものです。卑しい身分から起こり、頼れる足がかりのない者は難しく、爵位を受け継ぎ地位に乗り、祖先を尊んで事業を引き継ぐ者は易しいのです。堯は唐侯の身で帝位を継ぎ、舜は司徒として堯の禅譲を受け、禹は司空として功績によって舜に代わりました。湯は七十里の地から、文王は百里の地で西伯となり、武王は文王の位を受け継ぎました。五代の王朝の興りは、みな拠り所があり、力を出しやすかったのです。
解説
王充は、漢の高祖と光武帝を古の聖王より高く評価するために、この比較を持ち出します。『論衡』のこの篇は漢を称える立場にあり、結論はそのまま受け取れませんが、出発点の差を見よという観点は有用です。何もないところから事業を興した人と、先代の地盤を引き継いだ人を、同じ物差しで測ってよいのか。経営でも、創業者と後継者、ゼロからの新規事業と既存事業の拡大では、同じ成果の重みが違います。評価の前に、その人がどこから始めたかを確かめたくなる箇所です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
出発点創業微賤継承評価難易
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