甲陽軍鑑 / 品第六
子息左京太夫殿跡を踐へ、父子として二代天下を知る、今扶桑戰國の半なれは、六十六ヶ國を三代治めたるより此七八ケ國の間を、二代治たるは尤も手抦ならん、
新字:子息左京太夫殿跡を践へ、父子として二代天下を知る、今扶桑戦国の半なれは、六十六ヶ国を三代治めたるより此七八ケ国の間を、二代治たるは尤も手抦ならん、
書き下し
子息左京太夫殿跡を践へ、父子として二代天下を知る、今扶桑戦国の半なれは、六十六ヶ国を三代治めたるより此七八ケ国の間を、二代治たるは尤も手抦ならん、
現代語訳
子息の左京太夫殿が跡を踏まれ、父子として二代、天下を知った。今は扶桑戦国の半ばであるから、六十六か国を三代治めたのより、この七八か国の間を二代治めたのは、もっとも手柄であろう。
解説
版図の広さではなく、その時代の難しさで手柄を測っている。乱れていない世に大きく治めるより、戦国の最中に小さく二代続けるほうが難しい、という物差しである。数字だけを並べて比べることへの、この書なりの反論になっている。乱れていない世に大きく治めるより、戦国の最中に小さく二代続けるほうが難しいという物差しである。数字だけの比較への反論になっている。

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手柄規模時代継承乱世評価
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