玉勝間 / 八の巻 藤谷ノ成章と云ひし人の事
北邊集と云ひて歌の集も有るを、見たるに、詠める歌は、さしもすぐれたりとは無けれど、今の世の歌よみのやうなる、ひが事は、をさをさ見えずなん有ける。さもあたらしき人の、はやくも失せぬる事よ。その子の專右衛門と云ふも、まだ年若けれど、心いれて、わざと此道ものすと聞くは、父の氣はひもそはりたらむと、賴もしく覺ゆかし。それが物したる書どもも、これかれと、見えしらがふめり。
新字:北辺集と云ひて歌の集も有るを、見たるに、詠める歌は、さしもすぐれたりとは無けれど、今の世の歌よみのやうなる、ひが事は、をさをさ見えずなん有ける。さもあたらしき人の、はやくも失せぬる事よ。その子の専右衛門と云ふも、まだ年若けれど、心いれて、わざと此道ものすと聞くは、父の気はひもそはりたらむと、頼もしく覚ゆかし。それが物したる書どもも、これかれと、見えしらがふめり。
書き下し
北辺集と云いて歌の集も有るを、見たるに、詠める歌は、さしもすぐれたりとは無けれど、今の世の歌よみのようなる、ひが事は、おさおさ見えずなん有ける。さもあたらしき人の、はやくも失せぬる事よ。その子の専右衛門と云うも、まだ年若けれど、心いれて、わざと此道ものすと聞くは、父の気はいもそわりたらむと、頼もしく覚ゆかし。それが物したる書どもも、これかれと、見えしらがうめり。
現代語訳
北辺集といって歌集もあるのを見たところ、詠んだ歌はそれほどすぐれているというわけではないが、今の世の歌詠みのような誤りはほとんど見えないのであった。まことに惜しい人が、早くも亡くなってしまったことよ。その子の専右衛門という者も、まだ年は若いが、心を入れてことさらにこの道に励んでいると聞くのは、父の気風も備わっているのだろうと頼もしく思われる。その人が著した書物も、あれこれと目に見えて出てきているようだ。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 藤谷ノ成章と云ひし人の事近き頃京に、藤谷の専右衛門成章と云う人有ける、それが作れる。かざし抄、あゆい抄、六運図略など云うふみどもを見て、おどろかれぬ。それよりさきにも、さる人有とは、ほの聞たりしかど、例の今ようの、かいなでの歌よみならんと、耳もたたざりしを、此ふみどもを見てぞ、知れる人に、あるよう問いしかば、此近き程、みまかりぬと聞て、又驚かれぬ。そもそも此頃の歌よみどもは、少し人にもまさりて、用いらるるばかりにもなれば、おのれひとり此道得たる顔して、心やり高ぶるめれど、詠める歌書ける文云える説などを聞けば、ひがことのみ多く、皆いとまだしき物にて、これはと覚ゆるは、いとかたく、ましてぬけ出たるは、絶えて無き世に、この藤谷は、さるたぐいに有らず。又古きすじを捉えてみだりに高き事のみ云うともがらはた、世に多かるを、さるたぐいにも有らず。万葉よりあなたの事は、いかがあらむ、知らず。六運の弁に云えるおもむきを見るに、古今集よりこなたざまの歌のようを、よく見知れる事は、大かた近き世に、ならぶ人有らじとぞ覚ゆる。
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『玉勝間』八の巻 歌もふみもよくととのふはかたき事近き代の人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしと目とまる事は、ほどほどにあまたあめれど、それはた如何にぞや覚ゆる所は交りて、大かた瑕無くととのいたるは、おさおさ見えず。これは思えば、後の世にして、古えをまねぶ事は、いといと難きわざになむ有ける。古えのかしこき人々のだに、是れはしも、露の瑕なしと覚ゆるは、多かる中にも、少くなん有れば、まして今の人のは、いささかなる瑕をさえに、云いたてむは、あながちなるにや有らむ、されど同じくは、人のいささかも難ずべき節まぜぬさまにこそはあらまほしけれ。よき程にて、心をやるをば、もろこしの古えの人も、善からぬ事に云い置きけるをや。
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『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
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『玉勝間』十二の巻 俊成卿定家卿などの歌を悪しく云ひなす事近き頃、万葉ぶりの歌をものするともがら、みだりに心高き事を云いて、俊成の卿定家の卿などの歌をば、いたく拙きようにたやすげに云いおとすなるは、世の歌よみどもおしなべて、神のごと尊みかしこむを、ねたみて、あながちに云いくたさむとする、みだり事なり。そもそもこの卿たちの歌、悪しき事も、絶えて無きには有らざめれど、すべてのよう、古えより世々のあいだに、ぬけ出でたるところ有りて、まことにいとめでたし。然云いおとすともがら、いかに詠むとも、あしもとへ寄る事あたわじをや。
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『玉勝間』三の巻 夢を壁と詠める歌夢をかべと詠める歌、これらの外にも、なお有りしようにおぼゆるを、え思い出でず。思い出でたらむ時に、又も書き出でてむかし。おかしきふし多かる書だに、巻の長きは、春の日のくれがたきここちのすめれば、ましてと、これは秋の日にて、残れる事どもは、次次の巻にぞ。
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『玉勝間』十一の巻 後の世ははづかしきものなる事安藤の為章が千年山集という物に、契沖の万葉の注釈をほめて、かの顕昭仙覚がともがらを、この大とこになぞらえば、あたかも駑駘にひとしと云うべしと云える、誠にさる事なりかし。そのかみ顕昭などの説に比べては、かの契沖の釈は、加うべきふし無く、事つきたりとぞ、誰もおぼえけむを、今また吾〓県居の大人にくらべてみれば、契沖のともがらもまた、駑駘にひとしとぞ云うべかりける。何事もつぎつぎに後の世は、いと恥ずかしきものにこそ有りけれ。
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