墨子 / 耕柱
巫馬子謂子墨子曰:「舎今之人而譽先王,是譽槁骨也。譬若匠人然,知槁木也,而不知生木。」子墨子曰:「天下之所以生者,以先王之道教也。今譽先王,是譽天下之所以生也。可譽而不譽,非仁也。」
新字:巫馬子謂子墨子曰:「舎今之人而誉先王,是誉槁骨也。譬若匠人然,知槁木也,而不知生木。」子墨子曰:「天下之所以生者,以先王之道教也。今誉先王,是誉天下之所以生也。可誉而不誉,非仁也。」
書き下し
巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「今の人を舎きて先王を譽むるは、是れ槁骨を譽むるなり。譬えば匠人の然るが若し。槁木を知りて、生木を知らず」と。子墨子曰く、「天下の生くる所以の者は、先王の道の教えを以てなり。今、先王を譽むるは、是れ天下の生くる所以を譽むるなり。譽む可くして譽めざるは、仁に非ざるなり」と。
現代語訳
巫馬子が墨子に言った。「いまの人を差し置いて先王を誉めるのは、枯れた骨を誉めるようなものだ。大工が枯れ木のことは知っていて生きた木を知らないようなものだ」。墨子が言った。「天下が生きていられるのは、先王の道の教えによる。いま先王を誉めるのは、天下が生きている拠りどころを誉めることである。誉めるべきものを誉めないのは、仁ではない」。
解説
古人を持ち上げるのは死人を讃えることだ、という批判への答えです。墨子は、いま生きている仕組みがどこから来たかを見よと返します。非儒篇では古さの権威を崩した同じ人が、ここでは受け継いだものの由来を認めよと言う。古いから尊ぶのではなく、いま効いているかどうかで判断している点は一貫しています。基準が一つなら、古典を退けることも認めることも矛盾しません。
この章句が説くこと
先王由来評価継承仁
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