論衡 / 『論衡』指瑞篇第五十一・吉凶の兆しは人を知らない
非吉凶之物有知、故為吉凶之人來也、猶蓍龜之有兆數矣。龜兆蓍數、常有吉凶、吉人卜筮與吉相遇、凶人與凶相逢、非蓍龜神靈知人吉凶、出兆見數以告之也。
新字:非吉凶之物有知、故為吉凶之人来也、猶蓍亀之有兆数矣。亀兆蓍数、常有吉凶、吉人卜筮与吉相遇、凶人与凶相逢、非蓍亀神霊知人吉凶、出兆見数以告之也。
書き下し
吉凶の物に知有りて、故ら吉凶の人の為に来たるに非ざること、猶お蓍亀の兆数有るがごときなり。亀兆蓍数は、常に吉凶有り。吉人の卜筮は吉と相遇い、凶人は凶と相逢うも、蓍亀の神霊が人の吉凶を知りて、兆を出だし数を見して以て之に告ぐるに非ざるなり。
現代語訳
吉凶を示すものに知恵があって、わざわざ吉凶に当たる人のために現れるのではありません。亀の甲のひび割れや筮竹の数の出方がそうです。亀の兆しや筮竹の数には、いつも吉と凶とがあります。運のよい人が占えば吉に出会い、悪い人が占えば凶に出会いますが、それは占いの道具の霊が人の吉凶を知っていて、兆しや数を出して知らせたからではありません。
解説
王充は、鳳凰や野鳥が吉凶の使いとして来るという考えを退け、兆しは偶然に居合わせた者と結びついて意味づけされるだけだと論じます。亀卜や筮竹の例で、占いの結果も道具が人の運命を知っているのではなく、吉凶がもともと世にあり、出会った人がそれに当たるのだと説明します。指瑞篇は、瑞祥の意味をめぐる篇です。経営の場面でも、たまたま好調な時期に始めた施策が、効果があったと語られることがあります。出来事とその意味づけを分けて、本当に効いたのかを検証する姿勢につながります。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
蓍亀卜筮吉凶兆し偶然瑞祥
関連する章句
-
論衡・『論衡』初稟篇第十二・吉兆は偶然の符合にすぎない吉人、事を挙ぐれば、利あらざる者無し。人徒は召さずして至り、瑞物は招かずして来たり、黯然として諧合し、或いは之を使うが若し。門を出でて吉を聞き、顧み睨みて善を見るは、自然の道なり。文王の当に興るべきとき、赤雀適たま来たり、魚躍り烏飛び、武王偶たま見る。天の雀をして至らしめ白魚をして来たらしむるに非ざるなり。吉物の動き飛びて、聖の遇うなり。白魚、王の舟に入り、王陽曰く、「偶適なり」と。光禄大夫劉琨、前に弘農太守たりしとき、虎、河を渡る。光武皇帝曰く、「偶適にして自然なり。或いは之を使うに非ざるなり」と。故に夫の王陽の言う適、光武の曰う偶は、自然に合すと謂うべし。
-
論衡・『論衡』辨祟篇第七十二・吉凶の記憶は都合よく選ばれる凡そ人の世に在るや、事を作さざる能わず、事を作せし後、吉凶有らざる能わず。吉を見れば則ち指して以て前時に日を擇びし福と為し、凶を見れば則ち刺して以て往者に忌を触れし禍と為す。多くは或いは日を擇びて禍を得、忌を触れて福を獲たり。工伎の事を射る者は其の術を遂げんと欲し、禍の忌を見ては言わず、福の匿るるを聞きては達せず、禍を積みて以て慎まざるを驚かし、福を列ねて以て時を畏るるを勉ます。
-
『囲炉夜話』第十則・吉凶は人に在り卜筮は龜筮を以て重しと為す、故に必ず龜從ひ筮從ひて、乃ち吉と言ふべし。若し二者、一の從はざる有り、或いは二者俱に從はざれば、則ち宜なり其の凶有りて吉無きこと。乃ち洪範の稽疑の篇は、則ち龜從ひ筮逆ふ者に於いて、仍ほ內を作せば吉と曰ふ。龜筮共に人に違ふ者に於いて、仍ほ靜を用ふれば吉と曰ふ、是に吉凶は人に在るを知る、聖人の戒めを垂るること深し。人誠に能く內を作して外を作さず、靜を用ひて作を用ひず、分に循ひ常を守らば、斯れ亦た安くに往くとして吉ならざらんや。
-
論衡・『論衡』幸偶篇第五・賞罰は巡り合わせで分かれる凡そ人の操行に賢有り愚有り、禍福に遭うに及びて、幸有り不幸有り。事を挙ぐるに是有り非有り、賞罰に触るるに及びて、偶有り不偶有り。時を并せて兵に遭うも、隠るる者は中らず。日を同じくして霜を被るも、蔽わるる者は傷つかず。中り傷つくは未だ必ずしも悪ならず、隠れ蔽わるるは未だ必ずしも善ならず。隠れ蔽わるるは幸にして、中り傷つくは不幸なり。俱に忠を納れんと欲して、或いは賞せられ或いは罰せられ、并せて益有らんと欲して、或いは信ぜられ或いは疑わる。賞せられて信ぜらるる者は未だ必ずしも真ならず、罰せられて疑わるる者は未だ必ずしも偽ならず。賞せられ信ぜらるるは偶にして、罰せられ疑わるるは不偶なり。
-
論衡・『論衡』辨祟篇第七十二・禍福の命と人の行いを分ける人の世に於けるや、禍福に命有り。人の操行も、亦た自ら之を致す。其の安居して為す無きに、禍福自ずから至るは、命なり。其の事を作し功を起こして、吉凶の身に至るは、人なり。人の疾病は、風湿と飲食とに由らざる者希なり。風に当たり湿に臥して、銭を握りて祟りを問い、飽くまで飯い食に饜きて、精を斎して禍を解く。
-
『呻吟語』外篇・物理・災祥に定名無く、治亂に定象有り至治已に成りて、應征乃ち見はるる者なり。即ち祥瑞無きも、何ぞ其の至治為るを害せんや。若し世亂れて祥瑞生ぜば、則ち祥瑞は乃ち災異のみ。是の故に災祥に定名無く、治亂に定象有り。庭に桑穀を生ずるも未だ必ずしも妖と為さず、殿に玉芝を生ずるも未だ必ずしも瑞と為さず。是の故に聖君は災異を懼れず、祥瑞を喜ばず。吾が自修の道を盡くすのみ。然らずんば、豈に後世祥瑞の主は二帝三王の上に出でんや。