論衡 / 『論衡』商蟲篇第四十九・偶然の一致を原因と呼ぶ誤り
且天將雨、蟻出蚋蜚、為與氣相應也。或時諸蟲之生、自與時氣相應、如何輒歸罪於部吏乎?天道自然、吉凶偶會、非常之蟲適生、貪吏遭署。人察貪吏之操、又見災蟲之生、則謂部吏之所為致也。
新字:且天将雨、蟻出蚋蜚、為与気相応也。或時諸虫之生、自与時気相応、如何輒帰罪於部吏乎?天道自然、吉凶偶会、非常之虫適生、貪吏遭署。人察貪吏之操、又見災虫之生、則謂部吏之所為致也。
書き下し
且つ天の将に雨ふらんとするや、蟻出で蚋飛ぶは、気と相応ずるが為なり。或いは諸蟲の生ずるも、自ずから時の気と相応ずるならん。如何ぞ輒ち罪を部吏に帰せんや。天道は自然にして、吉凶は偶たま会う。非常の蟲の適たま生ずるに、貪吏の署せらるるに遭う。人は貪吏の操を察し、又災蟲の生ずるを見れば、則ち部吏の為す所の致す所なりと謂うなり。
現代語訳
そもそも、天がこれから雨を降らせようとするときに蟻が出て蚋が飛ぶのは、気に応じているからです。同じく、さまざまな虫が発生するのも、季節の気に自然に応じているのかもしれません。それをなぜすぐに地方役人の罪にしてしまうのでしょうか。天の道は自然のままで、吉凶はたまたま重なるものです。異常な虫がたまたま発生したときに、欲深い役人がたまたま着任していたのです。人は欲深い役人のふるまいを見て、さらに害虫の発生を見ると、役人のしたことが招いたのだと言ってしまうのです。
解説
王充は、害虫の発生を役人の汚職の報いとみる「変復の家」の説を、偶然の重なりを因果と取り違えた誤りだと退けます。虫は温かさや湿り気で生まれ、役人の人格とは別の事情で動くという立場です。商虫篇は、虫の形や色を役人の文武に当てはめる説を一つずつ反証する篇で、この一節はその結びに近い議論です。職場でも、売上が落ちた時期にたまたま新任の課長がいれば、その人のせいにしがちです。目立つ二つの出来事を結びつける前に、ほかの要因がなかったかを確かめる姿勢が、人の評価を公正にします。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
偶然因果変復の家害虫貪吏時の気
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