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修証義 / 第一章 総序

今の世に因果を知らず。業報を明らめず。三世を知らず、善惡を辨へざる邪見の黨侶には群すべからず。大凡因果の道理、歴然として私なし。造惡の者は墮ち。修善の者は陞る、毫釐も貳はざるなり。若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸佛の出世あるべからず、祖師の西來あるべからず。

新字:今の世に因果を知らず。業報を明らめず。三世を知らず、善悪を弁へざる邪見の党侶には群すべからず。大凡因果の道理、歴然として私なし。造悪の者は堕ち。修善の者は陞る、毫釐も貳はざるなり。若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。

書き下し

今の世に因果を知らず。業報を明らめず。三世を知らず、善悪を弁へざる邪見の党侶には群すべからず。大凡因果の道理、歴然として私なし。造悪の者は堕ち。修善の者は陞る、毫釐も貳はざるなり。若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。

現代語訳

いまの世に、因果を知らず、行いの報いを明らかにせず、過去・現在・未来の三世を知らず、善悪をわきまえない誤った見方の仲間には、加わってはならない。おおよそ因果の道理ははっきりとしていて、えこひいきがない。悪を造る者は落ち、善を修める者は昇る。ほんのわずかも違うことはない。もし因果が無くなって空しいものであるなら、諸仏がこの世に出ることもなく、祖師が西から来ることもなかったはずである。

解説

行いには必ず結果がともなう、という因果の考えを確かめる節である。私なしとは、誰に対しても公平で、特別扱いがないという意味だ。後半の論法が面白い。もし因果が空しいなら、仏が教えを説いた意味も、達磨が中国に禅を伝えた意味もなくなるではないか、と教えの歴史そのものを根拠にしている。結果が見えるまでに時間がかかると、つい原因と結果の結びつきを軽く見てしまう。そのときに思い出したい節である。

この章句が説くこと

因果業報善悪公平三世邪見

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この一句を、あなたの毎日に。

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