論衡 / 『論衡』超奇篇第三十九・知っていても使えなければ
入山見木、長短無所不知;入野見草、大小無所不識。然而不能伐木以作室屋、采草以和方葯、此知草木所不能用也。夫通人覽見廣博、不能掇以論說、此為匿生書主人、孔子所謂「誦詩三百、授之以政不達」者也、與彼草木不能伐采、一實也。
新字:入山見木、長短無所不知;入野見草、大小無所不識。然而不能伐木以作室屋、采草以和方葯、此知草木所不能用也。夫通人覧見広博、不能掇以論説、此為匿生書主人、孔子所謂「誦詩三百、授之以政不達」者也、与彼草木不能伐采、一実也。
書き下し
山に入りて木を見れば、長短知らざる所無く、野に入りて草を見れば、大小識らざる所無し。然れども木を伐りて以て室屋を作り、草を采りて以て方薬を和すること能わざるは、此れ草木を知りて用うる能わざる所なり。夫れ通人は覧見広博なれども、掇りて以て論説する能わざるは、此れ書を匿せる主人たるなり。孔子の所謂「詩三百を誦するも、之に授くるに政を以てして達せず」なる者なり。彼の草木の伐采する能わざると、一実なり。
現代語訳
山に入って木を見れば、背丈の高低をすべて言い当て、野に入って草を見れば、大小をすべて見分けられる人がいます。しかしその人が、木を切って家を建てることも、草を摘んで薬を調合することもできないなら、それは草木を知っていても使えないということです。博識の人も、広く見聞きしていながら、それを拾い集めて論じることができなければ、書物をしまい込んだだけの持ち主にすぎません。孔子が「『詩経』三百篇を暗誦しても、政治を任せて通用しない」と言った者であり、先の草木の話と同じことです。
解説
超奇篇は、学者を段階づけ、知識を使いこなす者を高く評価する篇です。この箇所で王充は、山の木や野の草の種類を言い当てられても、木を伐って家を建て、草を採って薬を調えられなければ意味がないと示します。博識でも、それを論じ、世に役立てる力がなければ、孔子が詩を暗誦しても政治を任せられないと評した人と同じだと言うのです。知識量を誇りがちな現代の管理職や学び手にとっても、耳の痛い指摘です。学んだことを自分の言葉で組み立て、仕事の判断に使えているか、点検する視点になります。

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博識通人活用論説詩三百草木
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