論語 / 子路篇
子曰:「誦詩三百,授之以政,不達。使於四方,不能專對;雖多,亦奚以爲?」
新字:子曰:「誦詩三百,授之以政,不達。使於四方,不能専対;雖多,亦奚以為?」
書き下し
子曰く、詩三百を誦し、之に授くるに政を以てして達せず。四方に使いして、専対する能わず。多しと雖も、亦た奚を以て為さん。
現代語訳
先生がおっしゃった。「詩を三百篇そらんじていても、政治を任せれば通用せず、使者として他国へ行っても自分で応対できない。いくら多く覚えていても、それが何の役に立とうか。」
解説
知識の量そのものは価値ではない、という直截な指摘である。詩三百を暗誦するのは大変な努力だ。それでも、政務が通らず、外交の場で自分の判断で応答できないなら、意味がない。ここで挙げられている二つの試験が具体的でよい。任せてみて回るか、その場で自分の言葉で応対できるか。どちらも準備した知識を再生するのではなく、状況に合わせて使う能力を測っている。専對、つまり自分ひとりで応答することが基準になっている点も重要だ。持ち帰って検討します、という応答は、この試験では不合格になる。学びの成果をどう検証するかという問題に、孔子は明確な答えを持っていた。覚えた量ではなく、任せたときに回るかどうかである。
この章句が説くこと
知識実用専対検証詩
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