論衡 / 『論衡』別通篇第三十八・一経は日光、百家は窓
開戶內日之光、日光不能照幽、鑿窗啟牖、以助戶明也。夫一經之說、猶日明也、助以傳書、猶窗牖也。百家之言令人曉明、非徒窗牖之開日光之照也。
新字:開戸内日之光、日光不能照幽、鑿窗啓牖、以助戸明也。夫一経之説、猶日明也、助以伝書、猶窗牖也。百家之言令人暁明、非徒窗牖之開日光之照也。
書き下し
戸を開きて日の光を内るるも、日光は幽きを照らす能わず。窓を鑿ち牖を啓きて、以て戸の明を助くるなり。夫れ一経の説は、猶お日の明のごときなり。助くるに伝書を以てするは、猶お窓牖のごときなり。百家の言は人をして暁明ならしむ。徒だ窓牖の開きて日光の照らすのみに非ざるなり。
現代語訳
戸を開けて日の光を入れても、日光は奥の暗い所までは照らせません。そこで壁に窓を穿ち、格子の窓を開いて、戸口の明るさを助けます。一つの経書の説は日の光のようなもので、それを助ける伝や書物は窓のようなものです。諸子百家の言は、人を明るく悟らせてくれます。それは単に窓が開いて日光が照らす、という程度のことではありません。
解説
別通篇は、一つの経書だけで満足せず、広く書物に通じることの大切さを説く篇です。王充は、一経の学びを戸口から差し込む日光、広く読む諸子百家を窓にたとえ、日光だけでは暗い奥まで照らせないと言います。専門の知識が一つあれば足りる、という考えへの反論です。現代の仕事でも、自分の専門だけで判断すると、死角が必ず生じます。異分野の本や他部署の視点という窓を開けておくことで、はじめて部屋の隅まで見えるようになります。自分の知識の窓が何枚あるか、数え直してみる手がかりになります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
一経百家窓博覧専門視野
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