呻吟語 / 外篇・治道・仕學を一事と為す
世無全才久矣,用人者各因其長可也。夫目不能聽,耳不能視,鼻不能食,口不能臭,勢也。今之用人不審其才之所堪,資格所及,雜然授之。方司會計,輒理刑名;既典文銓,又握兵柄。養之不得其道,用之不當其才,受之者但悅美秩而不自量。以此而求濟事,豈不難哉!夫公綽但宜為老而裨諶不可謀邑,今之人才豈能倍蓗古昔?愚以為學校養士,科目進人,便當如溫公條議,分為數科,使各學其才之所近,而質性英發能奮眾長者特設全才一科,及其授官,各任所長。夫資有所近,習有所通,施之政事,必有可觀。蓋古者以仕學為一事,今日分體用為兩截。窮居草澤,止事詞章;一入廟廊,方學政事。雖有明敏之才,英達之識,豈能觀政數月便得每事盡善?不免鹵莽施設,鶻突支吾。苟不大敗,輒得遷升。以此用人,雖堯舜不治。夫古之明體也養適用之才,致君澤民之術固已熟於畎畝之中,苟能用我者,執此以往耳。今之學校,可為流涕矣。
新字:世無全才久矣,用人者各因其長可也。夫目不能聴,耳不能視,鼻不能食,口不能臭,勢也。今之用人不審其才之所堪,資格所及,雑然授之。方司会計,輒理刑名;既典文銓,又握兵柄。養之不得其道,用之不当其才,受之者但悦美秩而不自量。以此而求済事,豈不難哉!夫公綽但宜為老而裨諶不可謀邑,今之人才豈能倍蓗古昔?愚以為学校養士,科目進人,便当如温公条議,分為数科,使各学其才之所近,而質性英発能奮衆長者特設全才一科,及其授官,各任所長。夫資有所近,習有所通,施之政事,必有可観。蓋古者以仕学為一事,今日分体用為両截。窮居草沢,止事詞章;一入廟廊,方学政事。雖有明敏之才,英達之識,豈能観政数月便得毎事尽善?不免鹵莽施設,鶻突支吾。苟不大敗,輒得遷升。以此用人,雖堯舜不治。夫古之明体也養適用之才,致君沢民之術固已熟於畎畝之中,苟能用我者,執此以往耳。今之学校,可為流涕矣。
書き下し
世に全才無きこと久し。人を用ふる者は各おの其の長に因らば可なり。夫れ目は聽く能はず、耳は視る能はず、鼻は食らふ能はず、口は臭ぐ能はざるは、勢なり。今の人を用ふるは其の才の堪ふる所、資格の及ぶ所を審らかにせずして、雜然として之を授く。方に會計を司り、輒ち刑名を理む。既に文銓を典り、又た兵柄を握る。之を養ふに其の道を得ず、之を用ふるに其の才に當たらず。之を受くる者は但だ美秩を悅びて自ら量らず。此れを以て事を濟すを求むるは、豈に難からずや。夫れ公綽は但だ老に宜しくして、裨諶は邑を謀る可からず。今の人才豈に能く古昔に倍蓗せんや。愚以為へらく、學校の士を養ひ、科目の人を進むるは、便ち當に溫公の條議の如く、分かちて數科と為し、各おの其の才の近き所を學ばしめ、而して質性英發にして能く眾長を奮ふ者は特に全才一科を設け、其の官を授くるに及びて、各おの長ずる所に任ずべし。夫れ資に近き所有り、習に通ずる所有らば、之を政事に施すに、必ず觀る可き有らん。蓋し古は仕學を以て一事と為し、今日は體用を分かちて兩截と為す。草澤に窮居しては、止だ詞章を事とし、一たび廟廊に入りて、方めて政事を學ぶ。明敏の才、英達の識有りと雖も、豈に能く政を觀ること數月にして便ち每事盡く善きを得んや。鹵莽の施設、鶻突の支吾を免れず。苟しくも大いに敗れずんば、輒ち遷升を得。此れを以て人を用ふれば、堯舜と雖も治まらず。夫れ古の體を明らかにするや適用の才を養ひ、君に致し民を澤すの術は固より已に畎畝の中に熟す。苟しくも能く我を用ふる者あらば、此れを執りて以て往くのみ。今の學校は、流涕す可きなり。
現代語訳
世に全才が無くなって久しい。人を用いる者は、それぞれの長所によればよいのです。目は聴けず、耳は見られず、鼻は食えず、口は嗅げないのが道理です。今の人の用い方は、その才の堪えるところや資格の及ぶところを調べず、ごちゃまぜに授けます。会計を司っていたかと思えば刑事を扱い、人事を掌っていたかと思えば兵権を握ります。養うのに道を得ず、用いるのに才に当たりません。受ける者はただ良い官等を喜んで自分を量りません。これで事を成そうとするのは、難しいことではないでしょうか。公綽は老いた家老に向くだけで、裨諶は町を謀れませんでした。今の人材が昔の何倍もあるでしょうか。私は思います。学校が士を養い科挙が人を進めるのは、司馬温公の建議のように数科に分け、それぞれ才の近いところを学ばせ、資質が英でよく多くの長所を奮える者には全才の一科を設け、官を授けるときはそれぞれ長じたところに任じるべきです。資質に近いところがあり習いに通じるところがあれば、政事に施して必ず見るべきものがあります。昔は仕えることと学ぶことが一つの事でしたが、今日は体と用を二つに切り離しています。草深い野にいるあいだは詩文だけを事とし、ひとたび朝廷に入って初めて政事を学びます。明敏な才と英達な識があっても、政を数か月見ただけで万事を善くできるでしょうか。粗雑な施策とごまかしの言い逃れを免れません。大失敗さえしなければ昇進します。これで人を用いれば、堯舜でも治まりません。昔は体を明らかにするのに実用の才を養い、君に尽くし民を潤す術はすでに田畑のうちで熟していました。もし用いてくれる者があれば、これを執って行くだけです。今の学校は、涙を流すべきです。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
自警録・第二章 一人前の人と一人前の仕事・要は人は業なり(1)かくいったからとて僕は専門に集中することをやめて、人間一人並みになるには、あれも少し、これも少しと音楽も商売も政治も踊も大弓もやれというにはあらぬ。仕事するにはよろしく専門的であるべしと僕は確信している。堂に昇らばよろしく室にも入るを要する。しかして甲がその専門についてある点まで上達すれば、乙がまた他の専門についてある点に達するに比べて専門がいかに違っても、各自の造詣は深さ高さによりて測り、たしかに某は何の道においては人並み以上なりということが出来る。もしかくのごとき人にしてたとい非倫のことを為したとしても、その人はやはり専門については一人前の分をなしたものといわねばならぬ。しかるにこの人は果たして人として一人並みであるや否やにいたっては疑問であるといわねばならぬ。 しからば一人前の人となるのと、一人前の仕事をするのとはまったく別であろうか。人としては不具者であるも、仕事をして衆に優れたならば、それで甘んじて死すべきか。この問題になるとおそらく人々の考えに大分の相違があるであろう。今日のごとく功利的思想のさかんなる時代においては、人となりは一人前ならなくとも、仕事の効果さえ挙ぐるを得ば人として生まれ来た甲斐ありと信じ、仕事に重きを置いて人となりを顧みぬであろうが、しかし真に偉大なる効果を挙ぐる仕事師は、その人格においても人並み以上たらねばならぬことがだんだんに分かって来はせぬか。 「文は人なり」 というが、人格を示すもの豈に独り文のみならんやで、政治も人なり、実業も人なり、学問も人なり、人を措いては事もなく業もない。一人前の仕事を為し遂げんと欲する者はあらかじめ一人前の人となることを心がくべきものと思う。一人前の仕事さえ出来れば、一人前の人なりとは断定し難きものでなかろうかとは、僕の常に疑うところである。 これを譬えていえば、ここに数多の器があるとする。これらの器――仮りに徳利とすればその仕事は水を入れるにある。そしていずれもその容積は異なっている。大きいものは一石も容るれば小さきものは一勺も容れ得ぬ。しかしいかに小なるも玩具にあらざる限りは、皆ひとかどの徳利と称する。ただ何の実用にもならぬほど小さければ徳利一本といわずに玩具一つと呼び做す。してみれば徳利の徳利たる所以はある最小限以上の容積すなわち分量すなわち仕事にあると思わるれども、分量の多寡には大差がある。人も同じく多数の者が同種類の仕事に従事していても、仕事の能率の上に非常なる差があっても、白痴でなければ、みな一人前と算えらるるであろう。
-
論語・子罕篇達巷の党人曰く、「大なるかな孔子。博く学びて名を成す所無し。」子之を聞き、門弟子に謂いて曰く、「吾何を執らんか。御を執らんか、射を執らんか。吾は御を執らん。」
-
福沢諭吉小品集・学者安心論・第16段前章にいえる如く、当世の学者は一心一向にその思想を政府の政に凝らし、すでに過剰にして持てあましたる官員の中に割込み、なおも奇計妙策を政の実地に施さんとする者は、その数ほとんどはかるべからず。ただに今日、熱中奔走する者のみならず、内外に執行する書生にいたるまでも、法律を学ぶ者は司法省をねらい、経済学に志す者は大蔵省を目的とし、工学を勉強するは工部に入らんがためなり。万国公法を明らかにするは外務の官員たらんがためなり。かかる勢にては、この書生輩の行末を察するに、専門には不得手にしていわゆる事務なるものに長じ、私に適せずして官に適し、官に容れざれば野に煩悶し、結局は官私不和の媒となる者、その大半におるべし。政府のためを謀れば、はなはだ不便利なり、当人のためを謀れば、はなはだ不了簡なり。今の学者は政府の政談の外に、なお急にして重大なるものなしと思うか。 手近くここにその一、二を示さん。学者はかの公私に雇われたる外国人を見ずや。この外国人は莫大なる月給を取りて何事をなすか。余輩、未だ英国に日本人の雇われて年に数千の給料を取る者あるを聞かず。而して独り我が日本国にて外人を雇うは何ぞや。他なし、内国にその人物なきがゆえなり。学者に乏しきがゆえなり。学者の頭数はあれども、役に立つべき学者なきがゆえなり。今の学者が今より勉強して幾年を過ぎなば、この雇の外国人をやめてこれに交代すべきや。新聞紙の政談に志すも、この交代の日は容易に来ることなかるべし。 また、一昨年一二月八日に金星の日食ありて、諸外国の天文家は日本に来て測量したり。この時において、学者は何の観をなしたるか。金の魚虎は墺国の博覧会に舁つぎ出したれども、自国の金星の日食に、一人の天文学者なしとは不外聞ならずや。
-
『政談』儒者の事此の外兵学は江家の家に伝へて、八幡太郎も大江匡房より兵学を伝へたまへり、当時も詩文章律和学兵学数学書学と八色ほどに分け、御家の儒者とも何れとも思ひ寄次第に此の内を一色つゝは請取り、子供にも教へ御用に立つやうに心掛くへしと仰渡され度こと也、経学は家業なれは、御催促に不及ことなり、其の筋々の請取り次第に御蔵の書籍をも御貸し、一色成就して御用にもたゝば芸料をも下され規摸なるやうにあらは、何れも御用に立つやうに成へし、白人の学問も是につれて御用に立つ筋に成へし、何れも何の用にもたゝず、心法のけしき理非の争など、無用の学問とすべし、
-
『講孟余話』盡心上 第四十六章今更云ふも事新しけれども、道の大本を云はば、人と生れては人たる所以を知り、五倫を明らかにし、皇国に居ては皇国の体を知り、本藩に仕へては本藩の体を知り、以て根基を建て、扨て其の上にて人々各其の職掌を治むべし。儒官は経史を博覧精究し、天文家は天文、地理家は地理、医家は医術、画家は画法、又弓馬刀槍銃砲、各其の技芸を以て専攻の家業とする者は、更に其の精妙を究め、其の他士は士、農は農、工は工、商は商、皆其の職掌を治むるなり。斯くの如く大小綱目井然と画定する上は、西洋究理学の如きも亦自ら世に廃すべきに非ず。而して又瑣小の事を以て聖人を誹議するに至らぬなり。是れ則ち仁智の極功なり。然らずして惑ふ者は、西洋名物分析等の学を以て修身治国の教への上に加へ、憎む者は或いは其の学を外道邪魔として一切に拒絶する、皆此の章を読まざるなり。
-
『童子問』卷下問ふ、宋儒謂ふ、天文・地理・律暦・兵刑・五運六気及び素問等の書、皆当に理会すべし、と。此の意如何、と。曰く、大凡学術政体に関はる者は、皆当に講究すべし。其の他は知るも亦好く、知らざるも亦害無し。礼楽兵刑は天下を治むるの具なり、講ぜざるべからず。然れども須らく先づ其の理の如何を講究すべし。其の度数条目の詳の若きは、則ち時に臨みて之を考ふるも、亦可なり。律暦の法は、伶官星翁の職とする所なり。此を以て儒者の業と為すは、則ち非なり。故に曰く、籩豆の事は、則ち有司存す、と。蓋し古は、其の才有れば則ち之を為し、其の才に非ず、又其の好みに非ざれば、則ち強ひて為さず。医薬の事も、亦然り。