講孟余話 / 盡心上 第四十六章
今更云モ事新シケレ共、道ノ大本ヲ云ハヽ、人ト生レテハ人タル所以ヲ知リ、五倫ヲ明ニシ、皇国ニ居テハ皇国ノ体ヲ知リ、本藩ニ仕テハ本藩ノ体ヲ知リ、以テ根基ヲ建、扨其上ニテ人々各其職掌ヲ治ムヘシ、儒官ハ経史ヲ博覽精究シ、天文家ハ天文、地理家ハ地理、医家ハ医術、画家ハ画法、又弓馬刀槍銃砲、各其技藝ヲ以テ、專攻ノ家業トスル者ハ、更ニ其精妙ヲ究メ、其他士ハ士、農ハ農、工ハ工、商ハ商、皆其職掌ヲ治ムルナリ、角ノ如ク大小綱目井然画定スル上ハ、西洋究理学ノ如キモ亦自ラ世ニ廃スヘキニ非ス、而シテ又瑣小ノ事ヲ以テ聖人ヲ誹議スルニ至ラヌナリ、是則仁智ノ極功ナリ、然ラスシテ惑フ者ハ、西洋名物分析等ノ学ヲ以テ脩身治国ノ教ノ上ニ加ヘ、憎ム者ハ或ハ其学ヲ外道邪魔トシテ一切ニ拒絕スル、皆此章ヲ読サルナリ、
新字:今更云モ事新シケレ共、道ノ大本ヲ云ハヽ、人ト生レテハ人タル所以ヲ知リ、五倫ヲ明ニシ、皇国ニ居テハ皇国ノ体ヲ知リ、本藩ニ仕テハ本藩ノ体ヲ知リ、以テ根基ヲ建、扨其上ニテ人々各其職掌ヲ治ムヘシ、儒官ハ経史ヲ博覧精究シ、天文家ハ天文、地理家ハ地理、医家ハ医術、画家ハ画法、又弓馬刀槍銃砲、各其技芸ヲ以テ、専攻ノ家業トスル者ハ、更ニ其精妙ヲ究メ、其他士ハ士、農ハ農、工ハ工、商ハ商、皆其職掌ヲ治ムルナリ、角ノ如ク大小綱目井然画定スル上ハ、西洋究理学ノ如キモ亦自ラ世ニ廃スヘキニ非ス、而シテ又瑣小ノ事ヲ以テ聖人ヲ誹議スルニ至ラヌナリ、是則仁智ノ極功ナリ、然ラスシテ惑フ者ハ、西洋名物分析等ノ学ヲ以テ脩身治国ノ教ノ上ニ加ヘ、憎ム者ハ或ハ其学ヲ外道邪魔トシテ一切ニ拒絶スル、皆此章ヲ読サルナリ、
書き下し
今更云ふも事新しけれども、道の大本を云はば、人と生れては人たる所以を知り、五倫を明らかにし、皇国に居ては皇国の体を知り、本藩に仕へては本藩の体を知り、以て根基を建て、扨て其の上にて人々各其の職掌を治むべし。儒官は経史を博覧精究し、天文家は天文、地理家は地理、医家は医術、画家は画法、又弓馬刀槍銃砲、各其の技芸を以て専攻の家業とする者は、更に其の精妙を究め、其の他士は士、農は農、工は工、商は商、皆其の職掌を治むるなり。斯くの如く大小綱目井然と画定する上は、西洋究理学の如きも亦自ら世に廃すべきに非ず。而して又瑣小の事を以て聖人を誹議するに至らぬなり。是れ則ち仁智の極功なり。然らずして惑ふ者は、西洋名物分析等の学を以て修身治国の教への上に加へ、憎む者は或いは其の学を外道邪魔として一切に拒絶する、皆此の章を読まざるなり。
現代語訳
今さら言うのも事新しいが、道の大本を言うならば、人として生まれたからには人である理由を知り、五倫を明らかにし、皇国に住む者は皇国のあり方を知り、本藩に仕える者は本藩のあり方を知って、それによって土台を築く。そのうえで、人々はそれぞれ自分の職分を務めればよい。儒官は経書や史書を広く読み深く究め、天文家は天文、地理家は地理、医家は医術、画家は画法、また弓・馬・刀・槍・銃砲など、それぞれの技芸を専門の家業とする者はさらにその精妙を究める。そのほか、士は士、農は農、工は工、商は商と、みなそれぞれの職分を務めるのである。このように大小の大筋と細目がきちんと定まったうえでなら、西洋の究理学のようなものも、おのずから世から捨て去るべきものではない。そしてまた、些細なことで聖人をそしるところまでは行かない。これこそ仁と智の極みの働きである。そうでなくて迷う者は、西洋の博物学や分析の学問を、身を修め国を治める教えの上に置いてしまい、憎む者はその学問を外道や邪魔ものとして一切拒絶する。どちらもこの章を読んでいないのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷下問ふ、宋儒謂ふ、天文・地理・律暦・兵刑・五運六気及び素問等の書、皆当に理会すべし、と。此の意如何、と。曰く、大凡学術政体に関はる者は、皆当に講究すべし。其の他は知るも亦好く、知らざるも亦害無し。礼楽兵刑は天下を治むるの具なり、講ぜざるべからず。然れども須らく先づ其の理の如何を講究すべし。其の度数条目の詳の若きは、則ち時に臨みて之を考ふるも、亦可なり。律暦の法は、伶官星翁の職とする所なり。此を以て儒者の業と為すは、則ち非なり。故に曰く、籩豆の事は、則ち有司存す、と。蓋し古は、其の才有れば則ち之を為し、其の才に非ず、又其の好みに非ざれば、則ち強ひて為さず。医薬の事も、亦然り。
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論語・子罕篇達巷の党人曰く、「大なるかな孔子。博く学びて名を成す所無し。」子之を聞き、門弟子に謂いて曰く、「吾何を執らんか。御を執らんか、射を執らんか。吾は御を執らん。」
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『呻吟語』外篇・治道・仕學を一事と為す世に全才無きこと久し。人を用ふる者は各おの其の長に因らば可なり。夫れ目は聽く能はず、耳は視る能はず、鼻は食らふ能はず、口は臭ぐ能はざるは、勢なり。今の人を用ふるは其の才の堪ふる所、資格の及ぶ所を審らかにせずして、雜然として之を授く。方に會計を司り、輒ち刑名を理む。既に文銓を典り、又た兵柄を握る。之を養ふに其の道を得ず、之を用ふるに其の才に當たらず。之を受くる者は但だ美秩を悅びて自ら量らず。此れを以て事を濟すを求むるは、豈に難からずや。夫れ公綽は但だ老に宜しくして、裨諶は邑を謀る可からず。今の人才豈に能く古昔に倍蓗せんや。愚以為へらく、學校の士を養ひ、科目の人を進むるは、便ち當に溫公の條議の如く、分かちて數科と為し、各おの其の才の近き所を學ばしめ、而して質性英發にして能く眾長を奮ふ者は特に全才一科を設け、其の官を授くるに及びて、各おの長ずる所に任ずべし。夫れ資に近き所有り、習に通ずる所有らば、之を政事に施すに、必ず觀る可き有らん。蓋し古は仕學を以て一事と為し、今日は體用を分かちて兩截と為す。草澤に窮居しては、止だ詞章を事とし、一たび廟廊に入りて、方めて政事を學ぶ。明敏の才、英達の識有りと雖も、豈に能く政を觀ること數月にして便ち每事盡く善きを得んや。鹵莽の施設、鶻突の支吾を免れず。苟しくも大いに敗れずんば、輒ち遷升を得。此れを以て人を用ふれば、堯舜と雖も治まらず。夫れ古の體を明らかにするや適用の才を養ひ、君に致し民を澤すの術は固より已に畎畝の中に熟す。苟しくも能く我を用ふる者あらば、此れを執りて以て往くのみ。今の學校は、流涕す可きなり。
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論語・八佾篇或るひと禘を問う。子曰く、『知らざるなり。その説を知る者の天下に於けるや、其れ諸を斯に示すが如きか。』と掌を指す。
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『文武訓』武訓上一士たる人は、高きいやしき、弓馬剣戟の法をまなぶべし。武芸を知らざれば、戦にのぞみ敵に対しがたし。されど、大将たる人は、まづ兵法をならひて、次に武芸をならふべし。武芸に専なるべからず。武芸はただ其大略をならふべし。武芸は末なり、兵法は本なり。有司も兵法をならふべし。将たる人、武芸のみ知りて兵法を知らざるは、本をすてて末をとるなり。小身の士は、武芸を大やうはあまねくまなぶべし。弓馬、剣術鎗長刀、抜刀、撃剣、拳法、棒、水練など皆ならひ知るべし。一事も知らざれば変に応じがたきことあり。小身の士も、一芸をすぐれて精しくまなぶは、一事になづみて他芸に通じがたし。故に一芸に専一なるべからず。然れども、もし士の子弟など、一芸を以て、身を立てんと思ふものは、芸を専にしてくはしくまなぶべし。これ人の師となるに足れり。かやうの人、もしあまねく多芸にしては、一芸にくはしからず、くはしからざれば人の師となりがたし。
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うひ山ぶみ・第二十段然して其余のしなじなをも、力の及ばんかぎり、学び明らむべし、さてその主としてよるべきすぢは、何れぞといへば、道の学問なり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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