政談 / 儒者の事
此の外兵學は江家の家に傳へて、八幡太郞も大江匡房より兵學を傳へたまへり、當時も詩文章律和學兵學數學書學と八色ほどに分け、御家の儒者とも何れとも思ひ寄次第に此の内を一色つゝは請取り、子供にも敎へ御用に立つやうに心掛くへしと仰渡され度こと也、經學は家業なれは、御催促に不及ことなり、其の筋々の請取り次第に御藏の書籍をも御貸し、一色成就して御用にもたゝば藝料をも下され規摸なるやうにあらは、何れも御用に立つやうに成へし、白人の學問も是につれて御用に立つ筋に成へし、何れも何の用にもたゝず、心法のけしき理非の爭など、無用の學問とすべし、
新字:此の外兵学は江家の家に伝へて、八幡太郎も大江匡房より兵学を伝へたまへり、当時も詩文章律和学兵学数学書学と八色ほどに分け、御家の儒者とも何れとも思ひ寄次第に此の内を一色つゝは請取り、子供にも教へ御用に立つやうに心掛くへしと仰渡され度こと也、経学は家業なれは、御催促に不及ことなり、其の筋々の請取り次第に御蔵の書籍をも御貸し、一色成就して御用にもたゝば芸料をも下され規摸なるやうにあらは、何れも御用に立つやうに成へし、白人の学問も是につれて御用に立つ筋に成へし、何れも何の用にもたゝず、心法のけしき理非の争など、無用の学問とすべし、
書き下し
此の外兵学は江家の家に伝へて、八幡太郎も大江匡房より兵学を伝へたまへり、当時も詩文章律和学兵学数学書学と八色ほどに分け、御家の儒者とも何れとも思ひ寄次第に此の内を一色つゝは請取り、子供にも教へ御用に立つやうに心掛くへしと仰渡され度こと也、経学は家業なれは、御催促に不及ことなり、其の筋々の請取り次第に御蔵の書籍をも御貸し、一色成就して御用にもたゝば芸料をも下され規摸なるやうにあらは、何れも御用に立つやうに成へし、白人の学問も是につれて御用に立つ筋に成へし、何れも何の用にもたゝず、心法のけしき理非の争など、無用の学問とすべし、
現代語訳
このほか兵学は江家(大江氏)の家に伝えて、八幡太郎(源義家)も大江匡房から兵学を伝えられた。今も詩文章・律・和学・兵学・数学・書学と八種ほどに分け、御家の儒者たちが誰でも思い寄りしだいにこの内を一種ずつ受け持ち、子どもにも教えて御用に立つように心掛けよと仰せ渡されたいものである。経学は家業であるから、御催促には及ばない。その筋々の受け持ちに応じて御蔵の書籍もお貸しになり、一種が成就して御用に立てば芸料(手当)も下されて、規範となるようにすれば、皆御用に立つようになるだろう。白人(専門外の人)の学問もこれにつれて御用に立つ筋になるだろう。(今のままでは)皆何の用にも立たない。心法の様子や理非の争いなどは、無用の学問とすべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・子罕篇達巷の党人曰く、「大なるかな孔子。博く学びて名を成す所無し。」子之を聞き、門弟子に謂いて曰く、「吾何を執らんか。御を執らんか、射を執らんか。吾は御を執らん。」
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『講孟余話』盡心上 第四十六章今更云ふも事新しけれども、道の大本を云はば、人と生れては人たる所以を知り、五倫を明らかにし、皇国に居ては皇国の体を知り、本藩に仕へては本藩の体を知り、以て根基を建て、扨て其の上にて人々各其の職掌を治むべし。儒官は経史を博覧精究し、天文家は天文、地理家は地理、医家は医術、画家は画法、又弓馬刀槍銃砲、各其の技芸を以て専攻の家業とする者は、更に其の精妙を究め、其の他士は士、農は農、工は工、商は商、皆其の職掌を治むるなり。斯くの如く大小綱目井然と画定する上は、西洋究理学の如きも亦自ら世に廃すべきに非ず。而して又瑣小の事を以て聖人を誹議するに至らぬなり。是れ則ち仁智の極功なり。然らずして惑ふ者は、西洋名物分析等の学を以て修身治国の教への上に加へ、憎む者は或いは其の学を外道邪魔として一切に拒絶する、皆此の章を読まざるなり。
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『呻吟語』外篇・治道・仕學を一事と為す世に全才無きこと久し。人を用ふる者は各おの其の長に因らば可なり。夫れ目は聽く能はず、耳は視る能はず、鼻は食らふ能はず、口は臭ぐ能はざるは、勢なり。今の人を用ふるは其の才の堪ふる所、資格の及ぶ所を審らかにせずして、雜然として之を授く。方に會計を司り、輒ち刑名を理む。既に文銓を典り、又た兵柄を握る。之を養ふに其の道を得ず、之を用ふるに其の才に當たらず。之を受くる者は但だ美秩を悅びて自ら量らず。此れを以て事を濟すを求むるは、豈に難からずや。夫れ公綽は但だ老に宜しくして、裨諶は邑を謀る可からず。今の人才豈に能く古昔に倍蓗せんや。愚以為へらく、學校の士を養ひ、科目の人を進むるは、便ち當に溫公の條議の如く、分かちて數科と為し、各おの其の才の近き所を學ばしめ、而して質性英發にして能く眾長を奮ふ者は特に全才一科を設け、其の官を授くるに及びて、各おの長ずる所に任ずべし。夫れ資に近き所有り、習に通ずる所有らば、之を政事に施すに、必ず觀る可き有らん。蓋し古は仕學を以て一事と為し、今日は體用を分かちて兩截と為す。草澤に窮居しては、止だ詞章を事とし、一たび廟廊に入りて、方めて政事を學ぶ。明敏の才、英達の識有りと雖も、豈に能く政を觀ること數月にして便ち每事盡く善きを得んや。鹵莽の施設、鶻突の支吾を免れず。苟しくも大いに敗れずんば、輒ち遷升を得。此れを以て人を用ふれば、堯舜と雖も治まらず。夫れ古の體を明らかにするや適用の才を養ひ、君に致し民を澤すの術は固より已に畎畝の中に熟す。苟しくも能く我を用ふる者あらば、此れを執りて以て往くのみ。今の學校は、流涕す可きなり。
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『童子問』卷下問ふ、宋儒謂ふ、天文・地理・律暦・兵刑・五運六気及び素問等の書、皆当に理会すべし、と。此の意如何、と。曰く、大凡学術政体に関はる者は、皆当に講究すべし。其の他は知るも亦好く、知らざるも亦害無し。礼楽兵刑は天下を治むるの具なり、講ぜざるべからず。然れども須らく先づ其の理の如何を講究すべし。其の度数条目の詳の若きは、則ち時に臨みて之を考ふるも、亦可なり。律暦の法は、伶官星翁の職とする所なり。此を以て儒者の業と為すは、則ち非なり。故に曰く、籩豆の事は、則ち有司存す、と。蓋し古は、其の才有れば則ち之を為し、其の才に非ず、又其の好みに非ざれば、則ち強ひて為さず。医薬の事も、亦然り。
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『文武訓』武訓上一士たる人は、高きいやしき、弓馬剣戟の法をまなぶべし。武芸を知らざれば、戦にのぞみ敵に対しがたし。されど、大将たる人は、まづ兵法をならひて、次に武芸をならふべし。武芸に専なるべからず。武芸はただ其大略をならふべし。武芸は末なり、兵法は本なり。有司も兵法をならふべし。将たる人、武芸のみ知りて兵法を知らざるは、本をすてて末をとるなり。小身の士は、武芸を大やうはあまねくまなぶべし。弓馬、剣術鎗長刀、抜刀、撃剣、拳法、棒、水練など皆ならひ知るべし。一事も知らざれば変に応じがたきことあり。小身の士も、一芸をすぐれて精しくまなぶは、一事になづみて他芸に通じがたし。故に一芸に専一なるべからず。然れども、もし士の子弟など、一芸を以て、身を立てんと思ふものは、芸を専にしてくはしくまなぶべし。これ人の師となるに足れり。かやうの人、もしあまねく多芸にしては、一芸にくはしからず、くはしからざれば人の師となりがたし。
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論語・八佾篇或るひと禘を問う。子曰く、『知らざるなり。その説を知る者の天下に於けるや、其れ諸を斯に示すが如きか。』と掌を指す。
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