論衡 / 『論衡』雷虛篇第二十三・尊い者は小過を自ら罰さない
且飲食人以不潔淨、小過也。以至尊之身、親罰小過、非尊者之宜也。尊不親罰過、故王不誅罪。天尊於王、親罰小過、是天德劣於王也。且天之用心、猶人之用意。人君罪惡、初聞之時、怒以非之;及其誅之、哀以怜之。故《論語》曰:「如得其情、則哀怜而勿喜。」紂至惡也、武王將誅、哀而怜之。故《尚書》曰:「予惟率夷怜爾。」人君誅惡、怜而殺之;天之罰過、怒而擊之。是天少恩而人多惠也。說雨者以為天施氣。天施氣、氣渥為雨、故雨潤萬物、名曰澍。人不喜、不施恩。天不說、不降雨。謂雷、天怒;雨者、天喜也。雷起常與雨俱、如論之言、天怒且喜也。人君賞罰不同日、天之怒喜不殊時、天人相違、賞罰乖也。
新字:且飲食人以不潔浄、小過也。以至尊之身、親罰小過、非尊者之宜也。尊不親罰過、故王不誅罪。天尊於王、親罰小過、是天徳劣於王也。且天之用心、猶人之用意。人君罪悪、初聞之時、怒以非之;及其誅之、哀以怜之。故《論語》曰:「如得其情、則哀怜而勿喜。」紂至悪也、武王将誅、哀而怜之。故《尚書》曰:「予惟率夷怜爾。」人君誅悪、怜而殺之;天之罰過、怒而撃之。是天少恩而人多恵也。説雨者以為天施気。天施気、気渥為雨、故雨潤万物、名曰澍。人不喜、不施恩。天不説、不降雨。謂雷、天怒;雨者、天喜也。雷起常与雨倶、如論之言、天怒且喜也。人君賞罰不同日、天之怒喜不殊時、天人相違、賞罰乖也。
書き下し
且つ人に飲食せしむるに不潔浄を以てするは、小過なり。至尊の身を以て、親ら小過を罰するは、尊き者の宜しきに非ず。尊は親ら過ちを罰せず、故に王は罪を誅せず。天は王より尊きに、親ら小過を罰せば、是れ天の徳は王に劣るなり。且つ天の心を用うるは、猶お人の意を用うるがごとし。人君の罪悪は、初めて聞くの時は、怒りて以て之を非とし、其の誅するに及びては、哀れみて以て之を怜む。故に論語に曰く、如し其の情を得ば、則ち哀怜して喜ぶこと勿れと。紂は至悪なれども、武王の将に誅せんとするや、哀れみて之を怜む。故に尚書に曰く、予は惟れ夷を率いて爾を怜むと。人君の悪を誅するは、怜みて之を殺す。天の過ちを罰するは、怒りて之を撃つ。是れ天は恩少なくして人は恵多きなり。雨を説く者は以為えらく、天気を施し、気渥くして雨と為る、故に雨は万物を潤す、名づけて澍と曰うと。人は喜ばざれば、恩を施さず。天は説ばざれば、雨を降らさず。雷は天の怒り、雨は天の喜びと謂えば、雷の起こるは常に雨と俱なり。論者の言の如くならば、天は怒り且つ喜ぶなり。人君の賞罰は日を同じくせず、天の怒喜は時を殊にせず。天人相違い、賞罰乖くなり。
現代語訳
そのうえ、人に不潔なものを飲み食いさせるのは、小さな過ちです。最も尊い身で、自ら小さな過ちを罰するのは、尊い者にふさわしくありません。尊い者は自ら過ちを罰しないので、王も自ら罪人を手にかけません。天は王よりも尊いのに、自ら小さな過ちを罰するのなら、天の徳は王に劣ることになります。また、天が心を用いるのは、人が心を用いるのと同じです。君主が罪人の悪事を初めて聞いたときは、怒って非とし、処刑するときには、哀れんで憐れみます。だから論語にも、実情がわかったら、哀れんで憐れみ、得意になってはならない、とあります。紂は極悪でしたが、武王が討とうとしたとき、哀れんで憐れみました。だから書経にも、私は夷の人々を率いて、あなたを憐れむ、とあります。君主が悪人を罰するときは、憐れみながら殺します。ところが天が過ちを罰するときは、怒って撃ちます。これでは、天は恩が少なく、人は恵みが多いことになります。雨を説く者は、天が気を施し、その気が厚くなって雨となる、だから雨は万物を潤す、と言います。人は喜ばなければ恩を施さず、天は悦ばなければ雨を降らしません。雷は天の怒り、雨は天の喜びだというなら、雷はいつも雨と一緒に起こります。論者の言うとおりなら、天は怒りながら同時に喜んでいることになります。君主の賞と罰は同じ日にしません。天の怒りと喜びが同じ時なのは、天と人が食い違い、賞罰が乖離しているということです。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集豪・襟懷は疏朗を貴ぶ襟懷は疏朗を貴ぶも、太だ豪華を逞しくするに宜しからず。文字は雄奇を要するも、故らに寂寞を求むるに宜しからず。
-
史記 楽書昔者黄帝以て大いに鬼神を合す、今君の徳義薄し、以て之を聴くに足らず、之を聴けば将に敗れんとす」と。平公曰く、「寡人老いたり、好む所の者は音なり、願はくは遂に之を聞かん」と。師曠已むを得ず、琴を援きて之を鼓す。一たび之を奏すれば、白雲有りて西北より起こる。再び之を奏すれば、大風至りて雨之に随ひ、廊瓦を飛ばし、左右皆奔走す。平公恐懼し、廊屋の間に伏す。晋国大いに旱し、赤地なること三年。聴く者或いは吉或いは凶。夫れ楽は妄りに興すべからざるなり。太史公曰く、夫れ上古の明王の楽を挙ぐるは、以て心を娯しませ自ら楽しみ、意を快くし欲を恣にするに非ず、将に以て治を為さんと欲するなり。正教は皆音に始まる、音正しくして行ひ正し。故に音楽とは、血脈を動蕩し、精神を通流して心を和正する所以なり。故に宮は脾を動かして聖を和正し、商は肺を動かして義を和正し、角は肝を動かして仁を和正し、徴は心を動かして礼を和正し、羽は腎を動かして智を和正す。故に楽は内は正心を輔けて外は貴賤を異にする所以なり。上は以て宗廟に事へ、下は以て黎庶を変化するなり。琴の長さ八尺一寸は、正度なり。弦の大なる者を宮と為して、中央に居る、君なり。商は右傍に張り、其の余は大小相次ぎ、其の次序を失はざれば、則ち君臣の位正し。故に宮音を聞けば、人をして温舒にして広大ならしむ。商音を聞けば、人をして方正にして義を好ましむ。角音を聞けば、人をして惻隠にして人を愛せしむ。徴音を聞けば、人をして善を楽しみて施しを好ましむ。羽音を聞けば、人をして整斉にして礼を好ましむ。夫れ礼は外より入り、楽は内より出づ。故に君子は須臾も礼を離るべからず、須臾も礼を離るれば則ち暴慢の行ひ外に窮まる。須臾も楽を離るべからず、須臾も楽を離るれば則ち姦邪の行ひ内に窮まる。故に楽音とは、君子の義を養ふ所なり。
-
『春秋左氏伝』襄公二十八年 晏子、邶殿を受けず對へて曰く、「慶氏の邑は、欲を足す、故に亡ぶ。吾が邑は欲を足さざるなり。之に益すに邶殿を以てせば、乃ち欲を足さん。欲を足さば、亡ぶること日無からん。外に在りては、吾が一邑をも宰するを得ず。邶殿を受けざるは、富を惡むに非ざるなり、富を失はんことを恐るるなり。且つ夫れ富は布帛の幅有るが如し。之が制度を為りて、遷ること無からしむ。夫れ民は生厚くして用利なり。是に於いてか德を正して以て之を幅し、黜嫚すること無からしむ。之を幅利と謂ふ。利過ぐれば則ち敗を為す。吾敢へて多きを貪らず。所謂幅なり」と。北郭佐に邑六十を與ふ、之を受く。子雅に邑を與ふ、多きを辭して少なきを受く。子尾に邑を與ふ、受けて稍く之を致す。公以て忠と為す、故に寵有り。盧蒲嫳を北竟に釋(はな)つ。崔杼の尸を求め、將に之を戮せんとす。得ず。叔孫穆子曰く、「必ず之を得ん。武王に亂臣十人有り。崔杼其れ有らんや。十人ならずんば、以て葬るに足らず」と。既にして崔氏の臣曰く、「我に其の拱璧を與へよ、吾其の柩を獻ぜん」と。是に於いて之を得たり。
-
『春秋左氏伝』僖公三十年 周公閲、備物の饗を辞す初め、鄭の公子蘭出でて晉に奔り、晉侯に從ひて鄭を伐つ。鄭を圍むに與ること無からんことを請ふ。之を許し、命を東に待たしむ。鄭の石甲父・侯宣多逆へて以って大子と為し、以って成を晉に求む。晉人之を許す。冬、王周公閱をして來聘せしむ。饗に昌歜(しゃうさん)・白・黑・形鹽有り。辭して曰く、「國君は、文は以って昭らかにするに足り、武は畏る可きなり。則ち備物の饗有りて、以って其の德に象る。五味を薦め、嘉穀を羞(すす)め、鹽は虎の形にして、以って其の功を獻ず。吾何を以ってか之に堪へん」と。東門襄仲將に周に聘せんとし、遂に初めて晉に聘す。
-
言志四録・言志耋録 第百六十五条 親しむべくして狎るべからず火は親しむべくして狎るべからず。水は愛すべくして溺るべからず。妻妾を待つには、宜しく是くの如き看を著くべし。
-
『酔古堂剣掃』集峭・佯狂は顛に近し風流は蕩し易く、佯狂は顛に近し。