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史記 / 楽書

昔者黃帝以大合鬼神,今君德義薄,不足以聽之,聽之將敗。」平公曰:「寡人老矣,所好者音也,願遂聞之。」師曠不得已,援琴而鼓之。一奏之,有白雲從西北起;再奏之,大風至而雨隨之,飛廊瓦,左右皆奔走。平公恐懼,伏於廊屋之閒。晉國大旱,赤地三年。聽者或吉或凶。夫樂不可妄興也。太史公曰:夫上古明王舉樂者,非以娛心自樂,快意恣欲,將欲為治也。正教者皆始於音,音正而行正。故音樂者,所以動蕩血脈,通流精神而和正心也。故宮動脾而和正聖,商動肺而和正義,角動肝而和正仁,徵動心而和正禮,羽動腎而和正智。故樂所以內輔正心而外異貴賤也;上以事宗廟,下以變化黎庶也。琴長八尺一寸,正度也。弦大者為宮,而居中央,君也。商張右傍,其餘大小相次,不失其次序,則君臣之位正矣。故聞宮音,使人溫舒而廣大;聞商音,使人方正而好義;聞角音,使人惻隱而愛人;聞徵音,使人樂善而好施;聞羽音,使人整齊而好禮。夫禮由外入,樂自內出。故君子不可須臾離禮,須臾離禮則暴慢之行窮外;不可須臾離樂,須臾離樂則姦邪之行窮內。故樂音者,君子之所養義也。

新字:昔者黄帝以大合鬼神,今君徳義薄,不足以聴之,聴之将敗。」平公曰:「寡人老矣,所好者音也,願遂聞之。」師曠不得已,援琴而鼓之。一奏之,有白雲従西北起;再奏之,大風至而雨随之,飛廊瓦,左右皆奔走。平公恐懼,伏於廊屋之閒。晋国大旱,赤地三年。聴者或吉或凶。夫楽不可妄興也。太史公曰:夫上古明王舉楽者,非以娯心自楽,快意恣欲,将欲為治也。正教者皆始於音,音正而行正。故音楽者,所以動蕩血脈,通流精神而和正心也。故宮動脾而和正聖,商動肺而和正義,角動肝而和正仁,徴動心而和正礼,羽動腎而和正智。故楽所以内輔正心而外異貴賤也;上以事宗廟,下以変化黎庶也。琴長八尺一寸,正度也。弦大者為宮,而居中央,君也。商張右傍,其余大小相次,不失其次序,則君臣之位正矣。故聞宮音,使人温舒而広大;聞商音,使人方正而好義;聞角音,使人惻隠而愛人;聞徴音,使人楽善而好施;聞羽音,使人整斉而好礼。夫礼由外入,楽自内出。故君子不可須臾離礼,須臾離礼則暴慢之行窮外;不可須臾離楽,須臾離楽則姦邪之行窮内。故楽音者,君子之所養義也。

書き下し

昔者黄帝以て大いに鬼神を合す、今君の徳義薄し、以て之を聴くに足らず、之を聴けば将に敗れんとす」と。平公曰く、「寡人老いたり、好む所の者は音なり、願はくは遂に之を聞かん」と。師曠已むを得ず、琴を援きて之を鼓す。一たび之を奏すれば、白雲有りて西北より起こる。再び之を奏すれば、大風至りて雨之に随ひ、廊瓦を飛ばし、左右皆奔走す。平公恐懼し、廊屋の間に伏す。晋国大いに旱し、赤地なること三年。聴く者或いは吉或いは凶。夫れ楽は妄りに興すべからざるなり。太史公曰く、夫れ上古の明王の楽を挙ぐるは、以て心を娯しませ自ら楽しみ、意を快くし欲を恣にするに非ず、将に以て治を為さんと欲するなり。正教は皆音に始まる、音正しくして行ひ正し。故に音楽とは、血脈を動蕩し、精神を通流して心を和正する所以なり。故に宮は脾を動かして聖を和正し、商は肺を動かして義を和正し、角は肝を動かして仁を和正し、徴は心を動かして礼を和正し、羽は腎を動かして智を和正す。故に楽は内は正心を輔けて外は貴賤を異にする所以なり。上は以て宗廟に事へ、下は以て黎庶を変化するなり。琴の長さ八尺一寸は、正度なり。弦の大なる者を宮と為して、中央に居る、君なり。商は右傍に張り、其の余は大小相次ぎ、其の次序を失はざれば、則ち君臣の位正し。故に宮音を聞けば、人をして温舒にして広大ならしむ。商音を聞けば、人をして方正にして義を好ましむ。角音を聞けば、人をして惻隠にして人を愛せしむ。徴音を聞けば、人をして善を楽しみて施しを好ましむ。羽音を聞けば、人をして整斉にして礼を好ましむ。夫れ礼は外より入り、楽は内より出づ。故に君子は須臾も礼を離るべからず、須臾も礼を離るれば則ち暴慢の行ひ外に窮まる。須臾も楽を離るべからず、須臾も楽を離るれば則ち姦邪の行ひ内に窮まる。故に楽音とは、君子の義を養ふ所なり。

現代語訳

昔、黄帝はこの曲で鬼神を大いに集めた。いま殿の徳義は薄く、これを聴くに足りない。聴けば身を滅ぼすことになる。」平公は言った。「わたしはもう年老いた。好きなのは音楽だけだ。どうか最後まで聞かせてほしい。」師曠はやむをえず、琴を引き寄せて弾いた。一たび奏でると、白い雲が西北から湧き起こった。再び奏でると、大風が吹いて雨がこれに続き、廊下の瓦を吹き飛ばし、側近たちはみな逃げまどった。平公は恐れおののき、廊下の建物の間にひれ伏した。晋の国は大ひでりとなり、三年のあいだ大地は赤く焼けた。(音楽を)聴く者には、吉となる者もあれば凶となる者もある。そもそも音楽はむやみに興してはならないのである。太史公は言う。そもそも上古の明王が音楽を奏でたのは、心を楽しませて自ら楽しみ、気分をよくして欲をほしいままにするためではない。それによって治世を行おうとしたのである。正しい教化はみな音楽から始まる。音楽が正しければ行いも正しい。だから音楽とは、血脈を揺り動かし、精神を通わせ流して、心を和らげ正すためのものである。だから宮の音は脾臓を動かして聖(信)を和らげ正し、商の音は肺を動かして義を和らげ正し、角の音は肝臓を動かして仁を和らげ正し、徴の音は心臓を動かして礼を和らげ正し、羽の音は腎臓を動かして智を和らげ正す。だから音楽は、内には正しい心を助け、外には貴賤を区別するためのものである。上は宗廟に仕え、下は民を感化するのである。琴の長さが八尺一寸であるのは、正しい寸法である。最も太い弦が宮で、中央に位置する。これが君主である。商は右側に張られ、その他の弦は大小の順に並び、その順序を失わなければ、君臣の位が正される。だから宮の音を聞けば、人は温かくのびやかで広やかになる。商の音を聞けば、人は方正で義を好むようになる。角の音を聞けば、人は思いやりがあり人を愛するようになる。徴の音を聞けば、人は善を楽しみ施しを好むようになる。羽の音を聞けば、人は整然として礼を好むようになる。そもそも礼は外から入り、楽は内から出る。だから君子はわずかの間も礼を離れてはならない。わずかの間でも礼を離れれば、乱暴で傲慢な行いが外に極まる。わずかの間も楽を離れてはならない。わずかの間でも楽を離れれば、邪な行いが内に極まる。だから楽の音は、君子が義を養うためのものである。

解説

師曠の説話の結末と、楽書を締めくくる「太史公曰」です。平公は「年老いた、好きなのは音楽だけだ」と言って、黄帝が鬼神を集めたという究極の曲を無理に弾かせます。すると暴風雨が起こって瓦が飛び、晋は三年の大ひでりに見舞われました。「楽は妄りに興すべからず」という教訓で説話は結ばれます。続く司馬遷の評では、古の明王が音楽を用いたのは自分の楽しみのためではなく、治世のためだったと述べ、五音を脾・肺・肝・心・腎の五臓と、聖・義・仁・礼・智の五徳に対応させる、漢代の五行思想らしい説明を加えています。「礼は外より入り、楽は内より出づ」の一句がその要です。身の丈に合わない力や道具を欲しがると、思わぬ災いを招きます。自分の器を知ることもまた、上に立つ者の務めでしょう。

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