論衡 / 『論衡』禍虛篇第二十一・窮達は命と時と出会いで決まる
凡人窮達禍福之至、大之則命、小這則時。太公窮賤、遭周文而得封。甯戚隱厄、逢齊桓而見官。非窮賤隱厄有非、而得封見官有是也。窮達有時、遭遇有命也。太公、甯戚賢者也、尚可謂有非。聖人純道者也、虞舜為父弟所害、幾死再三;有遇唐堯、堯禪舜、立為帝。嘗見害、未有非;立為帝、未有是。前時未到、後則命時至也。案古人君臣困窮、後得達通、未必初有惡天禍其前、卒有善神佑其後也。一身之行、一行之操、結髪終死、前後無異。然一成一敗、一進一退、一窮一通、一全一壞、遭遇適然、命時當也。
新字:凡人窮達禍福之至、大之則命、小這則時。太公窮賤、遭周文而得封。甯戚隠厄、逢斉桓而見官。非窮賤隠厄有非、而得封見官有是也。窮達有時、遭遇有命也。太公、甯戚賢者也、尚可謂有非。聖人純道者也、虞舜為父弟所害、幾死再三;有遇唐堯、堯禅舜、立為帝。嘗見害、未有非;立為帝、未有是。前時未到、後則命時至也。案古人君臣困窮、後得達通、未必初有悪天禍其前、卒有善神佑其後也。一身之行、一行之操、結髪終死、前後無異。然一成一敗、一進一退、一窮一通、一全一壊、遭遇適然、命時当也。
書き下し
凡そ人の窮達禍福の至るは、大なれば則ち命、小なれば則ち時なり。太公は窮賤なりしが、周の文に遭いて封を得たり。甯戚は隠厄せしが、斉の桓に逢いて官に見ゆ。窮賤隠厄に非有りて、封を得官に見ゆるに是有るに非ざるなり。窮達に時有り、遭遇に命有るなり。太公・甯戚は賢者なり、尚お非有りと謂うべし。聖人は道に純なる者なり、虞舜は父と弟に害せられ、死に幾きこと再三なり。又た唐堯に遇い、堯、舜に禅りて、立ちて帝と為る。嘗て害せられしも、未だ非有らず、立ちて帝と為りしも、未だ是有らず。前の時は未だ到らず、後には則ち命時の至るなり。案ずるに、古人の君臣、困窮して後に達通を得るは、未だ必ずしも初めに悪有りて天其の前に禍いし、卒に善有りて神其の後に佑くるにあらざるなり。一身の行、一行の操、結髪より死に終るまで、前後異なる無し。然れども一成一敗、一進一退、一窮一通、一全一壊は、遭遇の適然にして、命時の当なるなり。
現代語訳
およそ人が窮したり栄達したり、禍に遭ったり福を得たりするのは、大きく見れば命、小さく見れば時によります。太公は貧しく卑しい身でしたが、周の文王に出会って封ぜられました。甯戚は世に隠れて困窮していましたが、斉の桓公に会って官に就きました。貧しく隠れていたことに過ちがあったのではなく、封ぜられ官に就いたことに正しさがあったのでもありません。窮達には時があり、出会いには命があるのです。太公や甯戚は賢者ですが、それでも過ちがあったと言えなくはない、と考える人もいるでしょう。聖人は道に純粋な人ですが、虞舜は父と弟に害され、あやうく死にかけたことが二度三度ありました。のちに唐堯に出会い、堯は舜に位を譲り、舜は立って帝となりました。害されたときにも過ちはなく、帝となったときにも正しさが加わったわけではありません。前の時はまだ至らず、のちに命と時が至ったのです。思うに、昔の君臣が困窮したあとで栄達を得たのは、初めに悪があって天がその前に禍いを下し、のちに善があって神が後に助けた、というわけでは必ずしもありません。一人の行い、一つの操は、成人してから死ぬまで、前後で変わりません。それでも、成功と失敗、進むことと退くこと、窮することと通じること、全うすることと壊れることがあるのは、出会いがたまたまそうなったのであり、命と時がそう当たったのです。
解説

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