論衡 / 『論衡』福虛篇第二十・五月生まれの忌みを問い直す
齊孟嘗君田文以五月五日生、其父田嬰讓其母曰:「何故舉之?」曰:「君所以不舉五月子、何也?」嬰曰:「五月子長與戶同、殺其父母。」曰:「人命在天乎?在戶乎?如在天、君何憂也;如在戶、則宜高其戶耳、誰而及之者!」後文長與一戶同、而嬰不死。是則五月舉子之忌、無效驗也。
新字:斉孟嘗君田文以五月五日生、其父田嬰譲其母曰:「何故舉之?」曰:「君所以不舉五月子、何也?」嬰曰:「五月子長与戸同、殺其父母。」曰:「人命在天乎?在戸乎?如在天、君何憂也;如在戸、則宜高其戸耳、誰而及之者!」後文長与一戸同、而嬰不死。是則五月舉子之忌、無効験也。
書き下し
斉の孟嘗君田文、五月五日を以て生まる。其の父田嬰、其の母を譲めて曰く、「何の故に之を挙げたるか」と。曰く、「君の五月の子を挙げざる所以は、何ぞや」と。嬰曰く、「五月の子は長ずれば戸と同じくして、其の父母を殺す」と。曰く、「人の命は天に在るか、戸に在るか。如し天に在らば、君何ぞ憂えん。如し戸に在らば、則ち宜しく其の戸を高くすべきのみ、誰か之に及ぶ者ぞ」と。後に文長じて一戸と同じくするも、嬰死せず。是れ則ち五月に子を挙ぐるの忌み、効験無きなり。
現代語訳
斉の孟嘗君田文は、五月五日に生まれました。父の田嬰は母を責めて言いました。「どうして育てたのか。」母は言いました。「あなたが五月に生まれた子を育てないのは、なぜですか。」嬰は言いました。「五月の子は、背丈が戸と同じになると、その父母を殺すからだ。」母は言いました。「人の命は天にあるのですか、それとも戸にあるのですか。天にあるのなら、あなたは何を心配するのです。戸にあるのなら、その戸を高くすればよいだけです。誰がそこまで届くでしょう。」のちに文は成長して背丈が戸と同じになりましたが、嬰は死にませんでした。これで、五月に子を育てることの忌みには、効き目がないとわかります。
解説

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